丸ノ内漫筆 | らくがき

らくがき

書きたいときにつらつらと。
大人向け。

私は文章を書くのが好き。ただの下手の横好き。書く時間が好きで読み返す時間はもっと好き。

生みの苦しみはゼロ、プレッシャーもノルマもゼロ。


小学生の頃ぐらいから、400字詰めの原稿用紙に2枚とか3枚とか目安を伝えられれば、その分量にちょうどいい感じにおさめることができた。計算してるとかではなく、なんとなく感覚でそれがうまくできた。そこから楽しくなった。周りがウンウン唸ってマスを無理やり埋めているときに、私はいかに最後の行で美しく終わるかを考えて、言い回しを書き直したり大人っぽい表現を初めて使ってみたりして楽しんでいた。それが私にとってのゲームだったのだ。

書く内容は他人と比べて特段面白いわけではない。卒業文集を見ても自分より面白いもの、発想に優れたものはたくさんあった。「誰よりも才能があった」のではなく、書く時間と読む時間を「誰よりも楽しんでいた」。


その純粋な気持ちは小学生の頃のままずっと変わらずに今も自分の中に大切にもっている。誰にも見せないだけでね。


中学生のときには二度、税の作文を書いた。二度とも佳作。税について何か勉強したわけではなく、一度目の授賞式でケーキを食べられることに気づいて読み手が喜びそうな文を書いたら二度目のケーキにありつけた。完全に食欲優位の行動であった。


高校に進むと長編の小説を書いてる子達がいたけど私にはそのような欲求は生まれず、勉強や部活で一日一日が過ぎた。文系に進もうとか文学を学びたいという気持ちになったこともない。自分の文章を読めていれば満足だからだ。私は常に私の文章が一番好きで、これはのちに大きな自己肯定感を生む。


そんな私には会って話してみたい人がいる。

小学生のころ同じクラスにいたTくんだ。

Tくんと私は電車通学組で帰りは逆方向だった。とてもいい子でいわゆる優秀な子だったと思う。気になる存在だった。彼は途中で転校してしまったので今はもうどこで何をしてるかわからないが、元気だといいね。


私がSNSで文章を書き始めたのはTくんとの当時の思い出を書いた作文を教授に面白いと思ってもらえたときからで、あのきっかけがなかったらたぶん忙しいまま書く楽しみをずっと忘れていたと思う。つまり感謝の人なのだ。

いつかもし何かの偶然で会うことがあれば、電車通学してたころの思い出話をしてみたいなと思う。

Tくん、あのとき手を振った場所はもう無くなって、駅も駅周辺も新しくなってたよ。知らない駅みたいだった。