実行する(後日更新予定) | らくがき

らくがき

書きたいときにつらつらと。
大人向け。

いつも適当なことばかり言っててもやると決めた事はきっちりやる人ってめちゃくちゃかっこいい。私もそういうふうでありたい。


今日はパイナップルジュースを飲もう、と決めたら絶対に探し出して買ってきて飲む!

今日は早く寝る、と決めたら夜はすぐ布団にもぐる!


そういう小さなことでいい。完璧じゃなくていいし口に出さなくていい。小さなことをやりとげる癖をつけようと思う。

自分で決めたことを嘘にしないで、その意思に責任をもつ。今の自分に必要な一歩。


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私は嘘、行き過ぎた誇張に対する許容範囲が狭い。明らかに気を引きたい、利益を優先したい、みたいなエゴが透けて見えるから。


デタラメは嫌いじゃないよ。そもそも、常にデタラメを言うのは非常に高度な技だし(相手を怒らせない程度に調整しようとするとさらに難しい)。フィクションの小説なんかは虚構を極限まで美しくした芸術作品なわけでそのレベルまでいくともはやデタラメと呼ぶのは失礼なわけで。ひとつの世界がそこに完成してしまうわけなので。


また、完全にリラックスした状態のときに限って外連味たっぷりのくだらない話を酒のつまみ程度の冗談にとらえてときに楽しめるほうが、人間的に余裕があるという印象を抱く。どうしようもないでっちあげなどに至ってはむしろ清々しささえ感じる。

いいか悪いかは別として大人の嗜みというやつ。あくまでも冗談とわかっていることが最低条件だけど…


無論デタラメならなんでも許されるといいたいわけではない。嘘もデタラメも無責任であることに変わりはない。まぁデタラメが無さ過ぎてもつまらないかな~というだけで。

「めちゃくちゃモテた」「テストはいつも百点だった」とか過去に関するどうでもいい情報や誇張は人を傷つけないから。


昔たまに聞いた「小さいおじさんを私はよく見かける!」とかになるとやや鬱陶しい。絶対いないことは証明できないけども…頻繁に見かけるとしたら、どこか体調不良じゃないですかね…


ま、とにかく嘘やデタラメは、度が過ぎれば良くないことなので、誰かが叱ってくれて「その程度にしておきなさいよ」と指摘をしてくれる。


ところが自分で決めた未来の行動を偽る(現実にしない)場合、これは誰にも確認しようがない。だから無意識的に常習化すると厄介というか、何十年も先には生き方に対する姿勢に大きな差が生まれる。


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「今日は勉強する」といって眠さに負けて諦める。

「メールするね」と言って忘れたままずっと放置する。「スタイル良くなりたい」と言うだけで何もしない。これらはわりとよくあることだし私もやる。


でも「大したことじゃないしまた次でいいや」と小さな未来をいつまでも軽んじていたら大きな未来や夢をコントロールできるわけもない。千里の道も一歩からなのでね。

べつに有言実行しなくたって、失敗したってあからさまに「お前は口だけだな」と人は言わない。「忙しいし、なかなか難しいよね」「ツボおさえてれば平気だよ」と共感する姿勢を見せる。


「そうだよねー」と不実行・後回しの事柄を積み重ねて毎日言い訳して生きているほうが楽だ。

だけどここぞというときには、静かに実行してきた人が頼られ、認められ、評価され、夢を叶えていく。


仕事や勉強に限ったことではなくて、むしろ夢や友情や健康や信頼などお金で手に入らないものほど日々の小さな積み重ねでできているものなのかもな。


決めたことを律儀に守る。頭の中でやると決めたことを一歩一歩着実に実行していく。


そんな人は少ないから、次第に目立ってくる。そういう人の存在を、最近は脅威に感じそれ以上に尊敬している。


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ロンドン留学した知人はコツコツ実行するタイプだった。昔の彼女は英語の成績が一番優秀というわけではなく、他校に彼氏がいて派手な印象の強い大人っぽい女の子として恐れられていた。テストの点だけを見れば私のほうがずっと良かった。


でも国籍の違う友人が彼女にはたくさんいる。英語で電話しながら片手で料理して日本語で私に話しかける。きちんとした論文を書けるくらい英語の語彙も増やしたという。


日々の一歩は小さくていいし達成するのが簡単なことでかまわないのだと思う。些細なことに対する行動が誠実であれば。


夢を叶え続ける人は、運や環境に恵まれただけではない。自分自身の立ち位置や能力を冷静に分析して、それに見合った目標への小さなステップを軽視せずに踏んできたその姿が人を引きよせ、同時に結果が出ているに過ぎないのだと感じる。そしてそれはとても難しい。本当に難しい、だけど私も小さなことからやってみようと思う。


飛びぬけた能力や人格の持ち主でなくても、先述の習慣がある人は大きなこと、時間のかかること、難しいこと、やりたいと望んだことを静かに現実にしていく人だ。


なお、その動機づけについては、自己否定ではない方がいいかなと思っている。その話はまたいずれ。