母危篤の連絡...意味する事は?

 
母の危篤を知らせる連絡が来たのは
休日の午前中でした。
 
 
その頃、
末期がんに侵された母の容体は
かなり悪化していました。
 
 
医師からも
「もう抗がん剤も命取りになります。
今は緩和ケアを重点的に行いましょう。」
といわれていて・・・・
 
いつ万が一のことがあっても
おかしくないと私たち家族は
思っていました。
 
 
ですが・・・
 
奇跡が起こって元の元気な母に
回復してくれるのではないか?
 
どんなに悪い状況でも
私たちはそんな風に思っていました。
 
思っていたというよりも
本気で願っていた。
 
信じていたという方が
近いかもしれません。
 
しかし、
無情にも母の危篤を知らせるが
あの日病院からかかってきました。
 
急いで病院へ向かう際に
父から聞いた話は・・・
 
 
就寝中に容体が急変し
一旦心停止に陥った。
 
以前から延命措置は希望しないと
医師に伝えてあったので、
医師も看護師も見守るだけだった。
 
 
けれど母は持ち前の強さで
再度自力で心臓を動かし
息を吹き返したそうです。
 
 
やはり母はとても強い人だったと
私たちは話し合いながら、
病院へ向かいました。
 

病院での母の容体

 
ですが、
母の病室へ足を運ぶと・・・
 
 
いまだかつてないほどに
苦しみもがく母がいました。
 
 
母は担当の看護師さんにも
「本当に弱音をはかない
我慢強い患者さんでした」
といわれたほど・・・
 
闘病中に痛みや苦しみ
不平不満を口にしませんでした。
 
苦しい時はひとりで
じっと黙って耐え忍んでいました。
 
そんな母が、
ベットの上で喘ぎ苦しみを
訴え続けていました。
 
聞いた事の無いような叫び声は
何時間も続きました。
 
 
母の入院していたのは総合病院の
産婦人科病棟だったので・・・
 
 
休日という事もあり、
病棟内は出産の見舞客で
明るい雰囲気が漂っていました。
 
 
ドア一枚隔てた向こうでは
祝福されて生まれてくる命があり・・・
 
 
こちら側では、
誰にも救いようのない
死の苦しみがある。
 
 
そんな状況に、
夢の中にいる様な気がしていました。
 
 
そしてやはり、
最期はゆっくりと死に向き合える
緩和ケア専門のホスピスに転院を
してもらいたかった・・・
 
そんな風に強く感じました。
 
今更ですが、
母に対して後悔する事は
たくさんあります。
 
その中でも、
母が希望したホスピスへの入所が
最期まで叶わなかったという事は
大きなひとつです。
 
 
もし身近な方が、
最期の時を近く迎える際は・・・
 
ぜひご本人の望む通りに
してあげてください!
 
ご本人のためにも、
そして残された家族たちが
心残りを残さない為にも。。。