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英語で「The eyes are the window to the soul」「目は心の窓」という諺があって、今日電車に乗っている時に色々と考えさせられた。

向かいに座るお姐さんがメールを見ながら優しく微笑んでいる姿とか、難しい顔をして読書しているお兄さんとか...

なんだか見ている自分自身がそれにつられて微笑ましい何かを思い浮かべたり、奥深いことを考えてみたり。

そんなじっと見つめてたわけじゃないけど(笑)

人間ってすごく社交的な生き物なんだなーと改めて思ったかな。もちろん、そうでない人もたくさんいると思うけど。



ふと2-3年前のある出来事を思い出して、また更に深く考え込んだ。



赤信号で待っていた時、道の向こう側にすごく楽しそうに漫画を読んでいる高校生くらいの男の子がひとり、俺と同じように信号が青になるまで待っていたのが見えた。

イキイキとした顔で自分の世界に入り込んでいて、とても幸せそうだった。

人影も少ない中で信号が青に変わり、漫画の世界に入ったまま、忍者が走るような面白い体勢でその男の子スッと走り出して道路を渡った。

俺は思わず、同じようなことをよくしていた弟を思い出して、つい笑顔になってしまった。

その時に男の子の後ろを歩く、少し年上の女の子の会話が聞こえてきた。

そのまま書き移す気にはなれないけど、
男の子を指差して、あんまり優しくないことを語り合っているのが耳に届いてしまった。

男の子は、そんなことも聞こえないくらい自分の世界に入り込んでいたから良かったけど。



素直に楽しんでいたのに、すごく幸せそうだったのに... とつい自分の頭の中で反論している間に、なんだかショックを受けている俺がいた。


学校で、傷つくような言葉を浴びせられた自分の経験や、弟とか妹、従兄弟たちも体験してきた虐めを思い出し、自分のことのように悲しくなってしまった。



女の子たちも、自分なりに何かの話題で、お互いでコミュニケーションを取り合って仲良くしようとしている中で、残念ながら今回は第3者を巻き込んでしまった。人間という不完全な生き物、ましてや色々と自分を見失ってしまいがちなあの年頃。この話は過ちを犯してしまったふたりを攻めたい話ではないよ。時にはこういうことも、あると思う。


こういうような事態に第3者として巻き込まれた経験のある俺から、図々しいけどメッセージを伝えたい。

今の俺から、当時の自分に分かっていて欲しかったこと。

学生の時は、いや、学生の時だけに限らず、人間としてこの社会で生きる者なら、どこかのタイミングでこの苦しい経験をする時が来るかもしれない。

その時は、すごく大きな問題だと感じて、なかなか立ち上がれずに落ち込んでしまうのかもしれない。

なんせ、言葉は大きな力が託されたものだから。



でもね、逆に言えばその「言葉」には自分が託す力しかないから。

俺も、酷いことを言われて傷ついたことならいっぱいある。

でも、痛める目的で物事を言って来るような人の言うことに、重みなんて置かなくていいんだよ。

酷いことを言う人に、自分の感情を左右させる力なんて与えなくていいんだよ。

その時は、すごく大事だと感じたことが、一歩引いてみると大したことなかったりする。



高校生の男の子とお姐さんふたりを後にし、
一瞬悲しい思いをしていたら、気付いた。

人を笑うふたりの女の子より、恐ることなく自分の好きなように走り出したあの男の子の表情の方がずっと幸せそうだったよ。

その笑顔に、俺すらも救われた。


酷い言葉ではなくて、あの笑顔に重みを置きたい。





今は人間関係でつらい想いをしている人もいると思うけど、
信じれば、努力すれば、どんないばら道も切り開いていけるはずだよ。


俺も、音楽で援護軍としてしっかりと背中を押して行けるように頑張るから。



自分の幸せを自分の手で掴んで、
自分の価値を自分の目で見つける。






あくまでも俺のやり方だけど、
みんなも自分自身の考えに基づいた物差しで、
愛せる人生を♡



夜分に熱い話ごめんねw

おやすみなさい!

Love, Nyk ドキドキ恋の矢ラブラブ