さて何が6年目かなぁ~?

実を言いますと、

今日、9月5日で日本語を勉強し始めて6年も経ってしまいました。

2006年の9月5日、高校に入学し、
初めて日本語の授業を受けました。


アメリカの高校では、3年間外国語を勉強しなければならない規制があるのですが、

僕の高校では、

スペイン語
フランス語
ドイツ語
日本語

の内から選ぶことができました。


正直、中卒の時期になって、
どれにするか随分悩んでいました。

ヨーロッパの言語に一切興味無かったが、
だからと言って日本語を選択する訳でも無く...

僕の意志を固めたのは、
ある先生の無責任な一言。

「どれにしても、堪能になる奴なんて皆無だし適当に選べば?」

だと。

...

今になってその先生の荒さに感謝していますが、
当時は、先生の言うことじゃないだろうと腹を立てました。

という訳で、
熱々な13歳の僕は、
敢えて、他より倍難しいとされる日本語を全力で選択しました。

あの時、ああ言われたのは運命の一言だったと数年後になって分かりましたが、暫くひきずりました(笑)

まぁ勿論それだけでは無く、
当時絵描きにハマっていて、
漢字の美しさに惹かれていた部分もあって、
ナルトも好きでしたし、

ラテン系の言葉よりはとりあえず関心がありました。

僕は張り切って夏休みを利用してひらがなを全部覚えた記憶があります(笑)

だが、
1年生の1学期は割と秀でることなく、
クラスメイトと同じペースで習って行きました。

ひらがな覚えて、カタカナ覚えて、

Konnichiwa.
Ogenki desu ka?
Yakiniku ga suki desu.

固定フレーズをローマ字で覚えて...



凄く懐かしい気分になって来ました(笑)



そして、2学期の始まりくらいには、
静岡から来た男の子ふたりが一週間、お家に泊まることになりました。

たった一週間でしたが、
僕はその男の子二人ととても仲良くなり、
短くも濃い一週間を一緒に過ごしました。

母国を離れ、異国の地で頑張っていた二人が僕に大きな刺激を与えてくれました。

地球の大きさ、可能性を感じさせてくれました。

そして、日本の歌を聞かせてくれました。

今思い出していると何故か涙ぐむ。


僕は日本語を勉強していて、
「かっこいい」というイメージがとても強かったのですが、
歌を聞いて初めて、
日本語独特の繊細な美しさを知らされました。

歌は昔から好きで、密かに歌手になる夢を見てはいましたが、
14年間英語の音楽を聴いても、
本格的に実現させようという強い気持ちには至らなかった。

しかし、初めて日本の歌を聴いた時に、
言葉の分からない僕の心にも響き渡り、
大きく動かされた。

僕はその時から、夢見た。

日本語を話したい。

日本語を分かりたい。

日本語を歌いたい。

そう言ったシンプルでも非常に強い感情を胸に、
僕は姿勢を整えて勉強に励みました。

当時は、決して自分が大きな一歩を踏み出しているとも、
大事な決意をしているとも、
なんとも思わなかった。

ただ素直に、
日本語が好きだった(笑)


勉強の仕方はもう、極普通でした。

高校の授業の勉強や宿題をきちんとやって、物足りず、自分なりの独学で夜中まで続けて行った。

あまり勉強だと感じていなかった。
勉強はこう、習わなきゃいけないものを嫌でも脳に叩き込むような動作に思いましたが、

日本語は遊んでいるかのようにウキウキしたし、ただ楽しかった。

当時の趣味は、
好きな歌の歌詞カードを手に、
その歌を繰り返して聴くことでした。

分からない単語をノートに書き落として、
暗記して行きながらひたすら聴く。

気づけば朝の3時だったりして、
僕は日本語の世界に夢中でした。

部活から帰ってきて、他の授業の宿題をダッシュで終わらせ、寝る時まで日本語の世界へ。

教科書で遊んでいなかった時は、
インターネットで音楽、ドラマ、映画、テレビ番組、日本のエンターテイメントを調べていた。

オタクだってバカにされたこともしばしばあったけど、
熱心になることに関して恥らうものはないと思う。

それが勉強だろうと、アニメとか音楽だろうと。



自分が凄い努力をしたとは、
今もちっとも思いません。

馬鹿正直に好きなことに打ち込んだのみ。

努力したのは大っ嫌いな数学の授業だけ(笑)(笑)
いずれ日本に自由に旅立てるように、
いい成績で卒業せざるを得ないのだと頑張りました。


日本語を習い始めて1年半ちょっと、
2008年の春、僕はオレゴン州の日本語弁論大会に出場し、2位を獲得した。

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とても悔しかった。

photo:02



1位を取った方は、
韓国からの留学生で、
流暢な日本語でとても意味のあるスピーチでした。

其方は4年生で、日本語を勉強している年数も圧倒的に多かったので、
無理があったのかもしれませんが、

2位を誇りに思いながら、
まだこんなもんじゃないと自分に約束しました。

以前も言ったことあると思いますが、
独学で多く勉強した僕は比較的喋るのが苦手で、まだ日本に行ったことも無かった時期なんかは多分酷いもんでした(笑)

photo:03



しかしあの時の敗北もとても刺激になり、
改めて意欲が高まりました。

意欲が高まったまま、
初来日し、予想通りのことも、
意外なことも全て確り感じ取り、
前に語ったように、日本で頑張って行こうという想いを最終的に決定した。

東京に住むジャパニーズお母さんと出会い、厳しく日本語を直して頂いて、
本当に心の底から感謝している。

静岡のホストファミリーも、
15歳の日本人の男の子の生活を体験させてくれて、ありがとうございます。

僕は掛け替えのない想い出を沢山持って帰国しました。

帰国後、僕はある程度これからの道程を推測できていた。取り敢えず、自分はどこへ向かって行くのか。

それを持って、言葉や歌の勉強を続けました。

弁論大会に関しては、
2010年、4年生の時にリベンジできました♪

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余談ですが、ここ2年で容姿にもかなりの変化が... (笑)

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僕はこの度、

日本へ渡って夢を追い掛けることを語りました。

そして、1位を獲得することができました。

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この機会を持って、
僕は外国人として日本語が堪能だという自信をもてました。

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そして僕は、外国人を卒業しました。


言い方は可笑しいのかもしれませんが、
僕は、外国人だというハンデを使用しないことを決心した。
日本語が下手だと意識し、日本人と肩を並べても、負けないように努力をすると。

今の僕は、日本の芸能界という、日本人と同じ土俵に立ち、戦わねばならない立場です。

自分のことを悪く言っているように聞こえますが、
この事態が本当は泣けて来る程嬉しいのです。

単語を間違えて恥ずかしい時も、発音出来なくてもどかしい時も、
そういう辛さこそが夢を追い掛けている証です。

僕を信じて取り組んで下さるスタッフの皆様や、僕を信じて応援して下さるファンの皆様がいてのこと。

もう、真夜中の部屋でひとり勉強に打ち込んでいる時期とは違う。

一緒に夢を見てくれる沢山の方に、

僕は夢を見せて行きたい。

だから僕は一生掛かっても日本語をもっと深く理解しようと勉強を続ける。

失望せずイントネーションと戦い続ける。




だってそもそも、日本語が大好きなんだもん。



だから、日本語がイマイチ下手な僕ですが、自分にOKは出さない。
必ず日を増すごとに成長して見せる。


なのでどうかあたたかく見守って、
そして厳しく叱って頂けますよう、
今後とも宜しくお願いします!!

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↑今日はなんちゃって制服でお祝いしました(笑)

うち制服じゃなかったけど。




ではでは、
皆様残りのこの一日を、
物にして行こうぜ!

Love, Nyk ドキドキ恋の矢ラブラブ