岡山県 日生諸島。
瀬戸内海に、浮かぶ島々の中に、総面積 僅か0.1K㎡程の小さな島がある。
その島の名は、鶴島。
かつて、この島は、多くのキリシタンが、島流しされた。
それは、江戸時代ではなく、近代国家の歩みだした、明治時代。
キリスト教が邪教である、その考え方は、明治に入っても、変わらなかった。
「浦上四番崩れ」と、呼ばれるキリシタン弾圧事件だった。
117人が、この島に流され、過酷な重労働が、課せられたという。
それは毎日、男性 8坪(女性は6坪)の原野を開墾すると、いうものだった。
その上、キリシタンたちは、執拗に改宗迫られたという。
それでも、キリシタンたちは、鶴島の流刑を「天守への旅」と呼んだ。
キリストという、拠り所があった為、過酷な日々を、耐えられたのであろう。
それでも故郷に、帰郷出来ず、18人も旅人が殉教していった。
1873(明治6)年に、キリスト教禁止令が、撤廃されるまでの4年間、キリシタンたちは、流刑生活を耐えた。
そして現在、鶴島は無人島となった。
鶴島の南東部の斜面、岡山県のカトリック教徒により、殉教者の碑と十字架が、建立された。
まるで、殉教者の弔いながら、マリア像が、静かに手を合わせてる。
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