第二次世界大戦後の1953年(昭和28年)の焼け野原。
我が国 日本国に、君が代に代わる、新しい国民歌が、必要になった。
以前 紹介した、緑の山河の他に、われら愛すがある。
壽屋(サントリーの前身)社長 佐治敬三が中心となって呼びかけ公募し、作られた曲である。
日本への愛と憲法の心を詠ったものとされている。
1953年、ラ・マルセイエーズのような、新しい国民歌を作ろうという佐治の呼びかけに応じて始められた。
全国から応募された数万点。
その中から、選ばれた一曲が、われら愛すだった。
また学校法人玉川学園では、戦後ずっと歌い継がれている
同学園での学生、教職員の愛唱歌のひとつ。
つまり、もう一つの校歌みたいなものだ。
また、われら愛すは、YouTubeなどでも、その歌は、聴くことは出来る。
ただ、緑の山河と同様に、国民歌と定着する事は、なかった。
されど、この われら愛すを、聴いてみたい方は、是非YouTubeなどで、試聴して見てください。
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