前漢・後漢 | ひろっさくんのブログ

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中国歴代王朝に、漢王朝がある。




漢王朝には、前漢(BC206年~AD8年)後漢(AD25年~AD220年)と二つの王朝がある。




二つの王朝に、さほど大きな違いはない。




そもそも前漢は劉邦が興し、後漢は劉秀が漢王朝を再興したものだから。




つまり同じ劉家が、造り上げただから、違いなどあまり見つからない。




でも、その中で、両漢の違いを探してみた。




それについて述べよう。




まず一つが、都がおかれた場所。




前漢は長安(現在の陝西省西安市)におかれ、後漢は洛陽におかれていた。




前漢は王莽という、外戚に国を奪われ、新という国になった。




だが新は、わずか15年で滅び、再び漢が再興された。




それが後漢だった。




後漢の頃になると、皇帝と宦官と密接になる。




しかも宦官の中には、養子をとることが許されていた。




そして、その宦官の家柄の出が、三国志で、有名な曹操である。




曹操の祖父は、宦官だったからである。




そして曹操の嫡子、曹丕が漢王朝を奪い、魏を興した。




つまり後漢は、宦官によって滅ぼされたのであった。




また後漢時代になると紙が発明され、文章の伝達速度が、格段に上がった。




前漢時代は、竹簡などが主流で、とても重く、嵩張るものだった。




現代で言えば、パソコンの軽量化といったところであろう。




漢王朝が滅びて、半世紀を越えるが、今でも中国人の殆どが、漢人・漢族と呼ばれている。




中国文化の基礎を作ったからである。















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