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 さっきから亜衣がそわそわしている。家族全員気が付いていた。皆が夕食を終える頃、亜衣はぎごちなく椅子から立ち上がった。

「あ、あのっ……みんな……食器は取り敢えず流しに持って行って、洗い物はわたしが後でやるから、みんなはそのまま座っていてほしいの……」

「出たな。さっきからどうも挙動不審だと思ってたぜ」

 食器をキッチンへ運ぶ亜衣を手伝いながら、真作が待ち構えていたように言った。沙耶も手伝ってくれたのでテーブルに残されたのは各自の湯呑みだけとなった。

「あの……実はお客さんが来ているんだけど……」

 亜衣はそう言って廊下を出て、玄関へ行き、外にいたらしい誰かを招き入れた。

「お茶淹れ直すわね」

 沙耶が手際よく急須の茶葉を取り替えた。しかし、亜衣と一緒にダイニングへ入ってきた人物を見た途端にポットから湯を注ぎ入れいていた急須を取り落としてテーブルの上に中身をぶちまけてしまった。

「サイキ・ヴィトリヒ!」

 こんな沙耶の表情は誰も見たことがなかった。鬼のような形相でサイキを睨み付けている。清和・和歌子夫妻も顔が真っ青になっていた。

「何しに来やがったっ!?」

 真作が今にも摑み掛からんばかりの剣幕で怒鳴った。

「わ……わたしも、ここへ来るのには随分と勇気が要ったわ……」

 さしもの魔女サイキも、敵意に満ちた幾つもの眼差しに射竦められて顔色が冴えなかった。

「でも……ここにいる全員に関わりのある話なので、忌み嫌われるのを覚悟でお邪魔させてもらったの……」

 沙耶は零した茶を拭き取るなり、脇目も振らずにダイニングを飛び出した。清和もぶるぶる震えている和歌子を気遣って抱き抱えるようにして連れ出した。魔女サイキこそが、沙耶にとっては両親であり、清和・和歌子夫妻にとっては愛息とその嫁である、中崎貴士とコニーの仇であった。かけがえのない人達を惨たらしく殺した張本人なのだ。

 純も沙耶の後を追いたかったが、サイキの用件が気になった。雄一は、エルケがサイキを見ようともせずに彼の腕を爪が食い込みそうなほどの力で握り締めている痛みに耐えながら心配そうに妻を見つめていた。安男は急須を洗ってから茶を淹れ直した。

「まあ、茶ぐらいは出してやるさ、招かれざる客だが……」

「それじゃあ、その話とやらを聞かせてもらおうか」

 純が瞬きもせずにサイキを見据えながら促した。

 

 

 

 サイキは昨夜、『イニシエのオロチ』が出現して警告したことを包み隠さずに語った。

「……つまり、今回に関してはわたしとあなたたちの利害が完全に一致するというわけ。だったら手を組まない手はない。そうは思わない?」

「亜衣……お前選りに選ってエライ相手と付き合い出してくれたな!」

 呆れ返って真作が吐き捨てるように言った。

「びっくりさせてごめん……」

 亜衣は気遣わしげな笑いを浮かべた。

「過去の経緯を水に流すなんてことは出来ない相談だぜ。絶対にな!」

 純は険しい表情を崩そうとしなかった。ダイニングに一人で戻って来た清和も腕組みをして押し黙っている。

「だからと言って、今のままのあなたたちだけでは次々に襲ってくる魔族共を防ぎきれないでしょうね。でも、わたしとたとえ一時期だけであろうとも和睦する気があるのなら、わたしはサイア……いえ、沙耶やエルケにヴィトリヒの族長──『女王』から次の『女王』へのみ受け継がれてきた秘術を教えることができる。あなたたちにとっても決して悪い話ではない筈よ」

「本当にもうわたしたちを“喰らう”つもりはないって言うの?」

 エルケはようやくサイキを見た。顔は強張ったままだ。

「亜衣と約束したからね」

 肩を聳やかした後で、サイキは一層真剣な面持ちになった。

「もう一つ警告しておきたいことがあるわ。……わたしが闇の眷属たちに狙われるってことは、あなたや沙耶も狙われるってことなのよ、エルケ」

「え?」

 エルケは眉を顰めた。

「『王家の娘』であるあなたや沙耶には、わたしと同等の利用価値がある。当然のことよ。あなたたちに取り憑いてから“半霊半物”になれば結局同じことだもの。そして……」

 サイキの眼差しが更に厳しくなった。

「二人をダークサイドに引き摺り込むために、純や他の家族も生贄にされる危険性があるってことよ。雄一も、あなたの大切な雄一もね」

 その発言に、エルケは全身総毛立った。

「……わかったわ。もはや議論の余地無しね。わたしは素直に頭を垂れてあなたに教えを請うわ、サイキ……」

 複雑な表情のまま、エルケは重々しく言った。

「仕方ないわね……」

 沙耶が現れた。相変わらず怒りと憎悪で殺気立っている。

「話は全部聞いてたわ。あんたなんかの顔も見たくないけど、あんたなんかから物を教わるなんて腸が煮え繰り返るけど……背に腹は変えられないわよね……」

 

 

 

 サイキは続けて言った。

「沙耶とエルケ以外の人達も、これからのことに備えた方がいいわね」

 彼女は一同を見渡した。

「まず、真作」

「気安く呼ぶんじゃねえっ!」

 叫ぶ真作には構わずサイキは言葉を継いだ。

「あなたの両手から何か強い波動が出ている。何か霊的なパワー……今や“半霊半物”になったわたしには見える……その波動、多分武器として使えると思うわ」

「へえ~」

 憤りを忘れて真作は自分の両手を見つめた。

「それから安男」

 サイキは今度は安男を見た。

「あなたの能力・『ウルフマン』……どんなに激怒していても、理性の力で鎮めることができたというのなら、同じように理性の力で発動させることも可能な筈よ」

「なんだい、『ウルフマン』って?」

 怪訝そうに安男は首を傾げた。

「オレが名付けたんだ」

 と、真作が笑う。

「名無しじゃ説明が面倒だからな。……激怒すると不死身の怪力人間になるなんて、まるで満月の狼男みたいだろ? だから『ウルフマン』」

「ちょっと、亜衣!」

 沙耶が睨んだ。

「わたしたちの内部情報、全部サイキに話しちゃったの?」

「まあ……そういうことになるかな……」

 亜衣はあらぬ方を見やった。

「次に、純」

 サイキは彼の魂の奥底まで見通すような視線を向けた。

「……あなたには……まだ何か顕在化してない能力が眠っているような気がするわ。それを引き出すことができればきっと役に立つと思う」

「……そうなのか……全然実感が湧かないが……」

 半ば茫然として純は呟いた。

「あなたたち三人には、然るべき師匠が必要ね。より強い戦士になるために、訓練して能力を自由自在に制御できるように鍛えてくれる師匠が……。早速明日、諌波探偵社に行きましょう」

「あんた、諌波探偵社の連中とも知り合いなのか?」

 純が目を丸くした。

「知り合いではないけれど、その存在は知ってる、お互いにね」

 サイキが答える。

「最後に残りの四人……特殊能力の全くない和歌子と雄一、能力はあっても戦闘タイプじゃない亜衣と清和。あなたたちには護符を身に付けてもらうわ。そして、朝昼晩関係なく思い付いた時に、いつでも繰り返し唱えられる護身用の呪文を教えてあげる」

「ありがと。やっぱサイキは頼もしいわね。伊達に八百年も生きてないわ」

 感心して呟く亜衣。

 

 

 

   43

 

「すげえ図柄だな……」

「確かに……」

 土曜日の午後、ワゴン車を運転する安男がルームミラー越しに、助手席の純が自分の肩越しに、後部座席の三人を見た。

 亜衣を真ん中に、右隣がサイキ、左隣が真作、亜衣は両方と恋人握りで手を繋いでいる。真作が鯱張っているのに対して、サイキは亜衣と肩を寄せ合い空いている右手で少女の腕を撫でている。

「オレの隣でイチャイチャすんじゃねえっ!」

 堪り兼ねて真作は怒鳴った。

「あなたも混ざればいいのに、真ちゃん」

 サイキは含み笑いした。

「お前なんかに『真ちゃん』呼ばわりされる覚えはねえっ!」

 苦りきった表情で真作はそっぽを向いた。

 

 

 

 やがてワゴン車は諌波探偵社に到着した。

「我が目を疑う光景だ」

 事務所に入って来た若者達を見て、鈴木十七社長があんぐりと口を開けた。

「魔女サイキがなんで君達と……?」

「サイキ……“半霊半物”になったのか……?」

 探偵社の面々が目を見張った。彼らもまた『諌波衆』と呼ばれる“半霊半物”の存在だった。

「わたしと彼らはもはや敵対関係にはないわ。そして、今日はあなたたちに相談に乗ってほしいことがあるの」

 サイキが完全に主導権を握っていた。

 

 

 

 サイキの依頼を受けて諌波探偵社は行動を起こした。

 鈴木社長が安男の『ウルフマン』のコントロール法を編み出して伝授した。その技法を習得した安男は、まず儀式の如く眼鏡を外す。呼吸を整え、意識を凝らすと近眼が解消されて鋭い視力を獲得する。これでスタンバイOKである。凄まじい怪力や運動能力を発揮できるようになる。怪力を振るえば金属や岩石をも破壊できると同時に己の肉体も損傷してしまうが、傷は瞬時に回復する。そして、起動状態を終了すれば、元の近視と普通人の肉体に戻るというわけだ。

 真作には正兼真吾探偵が付き、両手から放出される波動を絞り込んで結集し、“諌波の剣(つるぎ)”を形成する訓練をさせた。“諌波の剣”は“半霊半物”の剣であり、霊体ごと相手を切り裂くため、通常の銃砲刀剣類ではたちどころに治癒してしまう“半霊半物”の者たちにも効果的なダメージを与えることができるのだ。真作はその能力をそのまま『ツルギ』と名付けた。その方がイメージし易く、集中力を高められるからだ。尚、亜衣の『ブースター』によって強化されると、両手にそれぞれ二本ずつ“諌波の剣”を出すことが可能となり、一本ずつ純と安男に渡せば二刀流の真作と連係して戦えるようになる。“半霊半物”の武器は、霊感の強い者やエネルギー量の多い能力者が手にするとより威力を増す。正兼探偵は加実地衛(かさね・じえい)という“諌波の太刀”の達人を招聘し、三人に“諌波の剣”の扱い方や、気の込め方・放ち方等の指導を依頼した。(註: 加実地衛は加実時由の父親で、キャラクター・デザインはほとんど同じです)

 純に以後『ストレージ』と呼ばれることになる能力があることを見出したのは山下佐知恵だった。特殊能力を複数使える者は多く存在するが、本人の肉体や魂には容量の限界があるため、無制限に多数の能力を我が物とすることは不可能である。だが、純の『ストレージ』は、能力を発動し駆使するプログラムを、一種の圧縮された状態で保存することができるため、収容数に制限はない。ただし、あくまで保存保管のみであり、純自身にはそれらの能力を行使することはできない。他人に複製データをダウンロードして、その後展開してインストール完了となる。実際に『カット・アンド・ペースト』等の能力を持つ者も存在する以上、能力を奪われた時のバックアップに重宝するのが『ストレージ』だ。

 更には、滝口義介探偵が三人を『南方道場』に連れて行き、格闘技全般の稽古を付けることになった。道場には八代光という非地球人の師範代も常駐しており、絶好の修行環境であった。


 

 かくして、元来高い資質を有していた立原純、尾梶安男、霧島真作の三名は良き師に恵まれたおかげで短期間のうちに有能で強靭な戦士へと成長していったのである。