“上町台地”の北部にあたる“難波”…大阪歴史博物館 | Once upon a time by Bonze

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 上町台地の北部にあたる「難波」は、周辺で大きな地形の変化が起る中でたびたび人々の活動拠点となり、数多くの遺跡が残されてきた。その中で古墳時代中頃(5世紀)は、堀江の開削や大型倉庫群の建設など、難波が国際的な交易・交流の拠点として発展した一つの画期である。ここでは古墳時代中頃以降、飛鳥時代(7世紀)にかけて難波宮下層の建物群や四天王寺といった重要な施設が次々と造営され、「難波宮」遷都への基盤が整えられていくようすを、上町台地の遺跡を中心に……(大阪歴史博物館から)


 難波…“なんば”と聞いて、どこを思い浮かべるか?

ふつう、大阪ミナミの玄関口の“なんば”を指す。

 その地名の由来となった、上町台地の西にあった「西成郡難波村」…現在ではほとんど難波とは認識されない。

 “難波”は、古代の日本の都、難波宮から。

この場合、“なにわのみや”…なにわ、と読む。

“なにわ”は、大阪全体をさす…みたい?な。

同じ“なにわ”でも、“浪花”とか“浪華”は、大阪商人が好んで使う…とか…難しいのぉ😔



 ↓“ナニワ”の八十島の話し


      …🙏