魂の世界に生きる -6ページ目

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私の中に在るものは、より的確に表現される必要が有ります。

 

言い換えるなら、より真実に近い表現が求められます。

 

私は“無い”を観続けた結果、“持っていない”と言った方が的確であると感じます。

 

「“金”=“持っていない”という意味である」という事です。

 

凄く単純な事ですが、明確にそうと感じたのは初めての事だと思います。

 

やはり、単純な事程分かり難いのですね。

 

 

 

私はこれを事実と認めなくてはなりません。

 

私は私の中に“金”を持っていません。

 

だから、「存在しないんじゃないか?」と感じたのでしょう。

 

しかし、「私の中に“金”が在るのは間違いない」という考えは覆りません。

 

「“持っていない”が在るなら、“持っている”も在る」という事もありますが、「“持っていない”事を知っているなら、“金”が何かも知っている」という事だからです。

 

“金”を知らないと、“持っていない”とは言えません。

 

 

 

これで終わりではない事は明らかです。

 

“持っていない”は別の何かに変容するでしょう。

 

“持っている”に成るのかも知れないし、“金”に成るのかも知れない。

 

私に出来る事はただ観守る事だけです。