私の中に在るものは、より的確に表現される必要が有ります。
言い換えるなら、より真実に近い表現が求められます。
私は“無い”を観続けた結果、“持っていない”と言った方が的確であると感じます。
「“金”=“持っていない”という意味である」という事です。
凄く単純な事ですが、明確にそうと感じたのは初めての事だと思います。
やはり、単純な事程分かり難いのですね。
私はこれを事実と認めなくてはなりません。
私は私の中に“金”を持っていません。
だから、「存在しないんじゃないか?」と感じたのでしょう。
しかし、「私の中に“金”が在るのは間違いない」という考えは覆りません。
「“持っていない”が在るなら、“持っている”も在る」という事もありますが、「“持っていない”事を知っているなら、“金”が何かも知っている」という事だからです。
“金”を知らないと、“持っていない”とは言えません。
これで終わりではない事は明らかです。
“持っていない”は別の何かに変容するでしょう。
“持っている”に成るのかも知れないし、“金”に成るのかも知れない。
私に出来る事はただ観守る事だけです。