私が今回知った事はタイトルの通りです。
“何もしない”も、“働きたくない”も、“お金”も、“悟り”も、かなり前の話ですが“死にたい”も、その全ては“楽に成りたい”という事だったのは間違ってなかったと思います。
ただ、私の過ちは「外の世界でそれをしようとした事」という点に尽きます。
「ああ、やっちまった…」という感じです。
本当にこれは私には意味が無い事です。
劣等感を満たす為に他人を見下したり、「評価されよう」と色々と無理して頑張る事と同じなのてすね。
私の内が“楽”に成らないと駄目なのです。
その事を知っただけでも充分な成果と言えます。
私の内が“楽”に成れば、外がどうだろうが知った事ではありません。
別に働いても構わないし、お金が無くても構わないのです。
しかし、“楽に成りたい”と外であれこれやるよりも、余程良い状況が外の世界にも構築される可能性が高まるでしょう。
現に私が今勤めている会社での仕事は、昼夜2交代で毎日残業2時間にも関わらずあまり“苦”ではありません。
“働いている”いう感覚すら無いのですね。
以前の私なら強く拒絶した、「言われたままに動く」という事だけです。
劣等感が消えた事も大きいと思いますが、決め手はやはり「外で“楽”をしても意味が無い」という事を知ったからでしょうね。
“楽をしたい”とか、“楽をさせろ”とか、そういう事を一切外に求めなくなった事が一番大きいです。
「“苦”とは何か?」の答えを今言うなら、「外に“楽”を求める事」ですね。
“愛”や“幸せ”と何も変わりません。
「理屈を知っている事」と「実際にそうである事」は全く別の話です。
言葉で分かり易く説明出来たとしても、当の説明者自身が説明した事を出来ていない事が有ると思うのですが、“楽”に関しての私はまさにそれだったわけですね。