もしかして、働く事が好きだったりしないだろうか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私は今、人生で一度も考えた事がない可能性を考えています。

 

真に求めるものは「絶対有り得ない」というものの中に有ったりしますが、働く事もそのパターンかも知れません。

 

「私は働く事が好きなのかも知れない」という事です。

 

もしそうなら、私には何の問題も無くなります。

 

働かないで居ても平気なのは分かっているので、その上で働くのが好きとなれば、どっちに転んでも良いわけです。

 

それは、独りで居ても平気なのは分かっていて、その上で女性を好きである事が分かっている今の私と全く同じになるからです。

 

 

 

社会に出てから大雑把に言って約30年経過して、ようやくその可能性を直視出来る状態になりました。

 

そういう前提で“仕事”を観た時、“仕事”の本質を発見する事が出来るかも知れません。

 

“仕事”の本質とは、私が強く持っている何かしらの性質の事です。

 

それは「私は“○○”だ」という形で表現出来て、その性質を発見する事が「何故働くのか?」という疑問の答えとなり、働く理由となります。

 

その性質を発見する事が第一の目的なので、それが見付かれば働いても働かなくてもどっちでも良いわけです。

 

これはそのまま、冒頭で述べた通りの事ですね。

 

 

 

そもそも、“働く私”という者は存在しないはずなのですよね。

 

そこに在るのは“働く事で表現している何か”です。

 

その“何か”を仮に“仕事が好き”だとするなら、“仕事が好き”が在るだけです。

 

私がもっと突き詰めたいと思っているのは、「“仕事が好き”の“好き”は何を意味しているか?」という事です。

 

私は食べ物なら寿司が“好き”で、女性なら外見がタイプの人が“好き”ですが、言葉が同じでも中身(感じ方や表現する形)は全く違いますよね。

 

仕事にも“好き”が在ったとしたら、それらとは違う中身の“好き”が在るはずなのです。

 

それを見付けたいのです。