どういう時にお金が欲しくなるのか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

お金が欲しくなる時というのは、「それを得たい」と思った時と「それを避けたい」と思った時です。

 

突き詰めるとこの2つは同じ事になります。

 

「安心を得たい」は「不安を避けたい」ですし、「承認を得たい」は「否認を避けたい」です。

 

それとは明らかに様相が異なる場合が有って、純粋な意図として自然に欲する時が有ります。

 

これは水を飲む時みたいな感じですね。

 

私が求めているお金はその水と同じ感覚のものなのです。

 

未だに出て来てはいないのですが、目に見える世界に振り回されていなければ、本当に必要な時には自然と出て来ると思っています。

 

 

 

コロナ騒動の時はマスクが、米騒動の時はお米が、それぞれ「無い!無い!」と騒がれていましたが、私はそれらが「無い」と思った事が無いのですよ。

 

確かに店頭では品薄になってた気がしますが、私はどちらもほとんど気にしてなかったのですね。

 

お金も全く同じだと思います。

 

「お金の問題もこれでクリアー出来るんじゃないか」と、割と本気でそう思っています。

 

「本気で」と言うのは「固く信じ込んでいる」というニュアンスではなく、「ごく自然に。当たり前に」というニュアンスです。

 

「水や空気に対するそれに近いもの」と思って貰えると良いです。

 

 

 

話を冒頭の「得たい避けたい」に戻しますが、そう感じている時点でその為にお金を欲する意味が有りません。

 

感じている時点で既に在ります。

 

「得たい」ならそのまま既に得ているし、「避けたい」なら避ける事が絶対に出来ません。

 

どっちにしてもお金が介入出来る余地が無いのですね。

 

気に入った相手にお金を貢いで好意を得ようとする話は今に始まった事ではなく、きっとこれからも起こり続けるでしょうが、「好意が在る時点でもう好意を得ているじゃないか」という事ですね。

 

その人を見て、自らの内に好意が在る事を知ったのだから、相手から好意を貰っているわけでもあるのですね。

 

だったらお金を貢ぐ意味なんて何処にも有りません。

 

私の言う「その為にお金を欲する意味は無い」とは、例を挙げるとそういう事です。

 

 

 

そんなわけで、私はこのままで大丈夫だとは思うのですが、「どういう形でそうなるのか」という事はちょっと気になります。

 

気になると言うか、楽しみですね。