本当は「“金”は常に出ている」と言うべきだと思いますが、私は己の中に「それを塞ごうとしている何かが在る」と感じている為、今はこういう表現の仕方をしておきます。
「何かを出す」というのは結構怖い事です。
「怖い事」と言うよりは「スリルの有る事」でしょうか。
直接“金”と呼べるものは依然として出て来ていませんが、私の理論や姿勢が正しく機能して、見事“金”を引き出す事が出来たなら、それは間違いなく誰かの役に立ちます。
「役に立ちたい」という欲求や希望ではありません。
「役に立つ」という純然たる事実です。
それを目指しているわけではないですが、副産物的にそうなるでしょう。
私は先日、「働かなくても“金”を得る手段が有る」という事を内に観ました。
その時、「“金”の為に働こうとするのは、内なる“金”から逃げる(目を逸らす)行為だ」と思いました。
思い返すと、過去の私も「刈谷に行きたい」という動機以外では、何かにひびって、何かから逃げるように働きに出ていた気がするのです。
「働かなくても“金”を得る手段が有る」というのは事実です。
私が見ている世界の登場人物の中に、間違いなくそういう人が存在しています。
これを私の事として見れなかったのは、“金”を塞いでいる何かがそうさせていたのでしょう。
生憎、具体的な方法までは掴んでいませんが、徐々に何かが崩れているように思います。
私の中に“金”が隠されている事は疑い有りません。
もう「疑っている」とか、「信じている」というレベルではありません。
「ここに無かったら何処にも無い」と言えるくらい、確信と言うか当たり前の常識として捉えています。
もう“金”は出ていて、後はそれに気付くだけだと思うんですよね。