私がイメージしていた金持ちは多分この人 | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私は私以外の人を槍玉に挙げる事は好みませんので、「私がイメージしていた金持ちは多分この人だろう」と表現するに留めます。

 

今回は、その人に感じた事を出来るだけ多く下記並べてみたいと思います。

 

私が求めた“金”にも関係するかも知れないからです。

 

まず挙げられるのは「非常にでしゃばりで目立ちたがり屋」という事です。

 

やっている事を見れば明らかで、金柄みで大きな犯罪や騒ぎを起こすタイプと思います。

 

この手の人は得ている金額の大小を問わず沢山居るでしょう。

 

 

 

次に「外見が微妙」という点です。

 

極端に不細工ではないが、さして美形でもない。

 

元々は10段階評価で3くらいだが、メイクやらブランド物やらお洒落な服やらで無理矢理5程度に見せ掛けている。

 

…という感じですね。

 

あの手のタイプで本当の美形は見た事が無いんですよね。

 

本当に美形ならそれだけで食べられるか、ちゃんとしたお金持ちの男性に見初められているでしょう。

 

 

 

次に、「確かにキラキラした雰囲気は有る」という点です。

 

ただし、これはある程度まともな精神状態なら「怪しい」と感じられます。

 

明らかに演じたもの、作られたものと分かるんですね。

 

こういうのに憧れるタイプの人も一定数居て、それは燃え盛る火に飛んで行く蛾の如しですね。

 

あの偽りのキラキラ感を、私は“金”だと勘違いしていた可能性が有ります。

 

あれはもう“嘘”と“欺瞞”でしかないですね。

 

 

 

最後に「正真正銘の馬鹿としか言い様が無い」という点です。

 

能力的には秀でている事が有っても、「頭が悪い」としか評する事が出来ません。

 

「頭の中がどうなっていたらあんな事を嬉々として出来るのか、本気で追求してみたい」という気にすらなります。

 

承認欲求は承認欲求だと思うのですが、もっと具体的に内容を知りたくなりますね。

 

「羨ましがられたい」とか、「凄いと言われたい」とか、その人がどんな自分だったらそんな欲求が湧くのでしょう。

 

そういう人に痛烈な一言を言いたいだけ、つまり、「その一言が私の求めている“金”かも知れない」と意識の何処かで思っているような気もするんですよね。