もう“感謝”を拒絶するつもりは微塵も無く、今では「“感謝”は正しい道筋を示している」と思っています。
先日「“当たり前”や“当然”という態度は間違っていた」と認めました。
“感謝”の全てを理解していないのに、その一端を垣間見ただけで態度を改めざるを得ない何かを、“感謝”の中に観たのです。
凄く宗教っぽく、スピリチュアルっぽい雰囲気を感じますが、「正しい」と思ってしまったからには進む以外の選択は出来ません。
“感謝”を見詰めると、私はその意味を良く知らない事が分かりました。
良く知らないで“感謝”という言葉を使い、良く知らないで“感謝”を拒絶していたわけです。
なので、私は“感謝”の意味を深く知ろうと思います。
私風に言うなら「“感謝”は本当は何と言っているんだろうな?」です。
「何の事を“感謝”と言っているのだろうか?」でも良いです。
そのまま“かんしゃ”とか“ありがとう”では、“感謝”の奥に感じているものとは少し合わない気がするのです。
“感謝”すべき対象は、私の身の回りに沢山散りばめられています。
蛇口を捻れば水が飲める事もそうですが、私は“感謝そのもの”と言って良い対象に既に会っている事に気付きました。
“愛”を知った人です。
今思えば、「彼女は“感謝そのもの”ではなかったか?」と思えてなりません。
彼女の姿と“感謝”が被るのですね。
「“愛”と呼ぶより“感謝”と呼ぶ方が相応しいんじゃないか?」と思うのです。
彼女の姿を思い浮かべ、「ありがとう」と言ってみると合います。
水が飲める“感謝”よりも深い“感謝”を感じられます。
でも、私はその意味を理解していません。
「ありがとう」の中に秘められた意味を、私は理解したいと思っています。
そう言えば、「どんな結末になっても、彼女には“感謝”で終わる」と言った(書いた)記憶がありますね。
あの時にもう触れていたのに、それに気付いてなかったという事ですかね。