「私は“神”である」と認める為には、「“神”とは何か?」を知る必要が有るかも知れません。
「“神”とは何か?」を知る事によって、「私は“神”である」と認めるに至るのか?
「私は“神”である」と認める事によって、「“神”とは何か?」を知るに至るのか?
今の私は「どっちが先だろうな?」と思案を巡らせています。
「まあ、“神”なら“神”の事を知れるだろうな」という点において、前者である気がします。
「“神”の事を知らないで、“神”であると言うのもおかしいな」って思います。
なので、「“神”とは何か?」を求める事にします。
私は原点に立ち返りました。
原点とは「私は何か?」です。
その結果、「“神”で良いのか?」という方向に進む事になりました。
“金”の事も解決していないので気にはなるのですが、「“神”なら“金”は要らねーじゃん」という結論になるかも知れないのですよね。
「“神”と“金”、どっちを取るの(どっちがより上位次元なの)?」と言われたら、“神”を選んでもおかしくないわけです。
“金”の中に“神”が含まれているなら“金”を取るべきですが、“神”の中に“金”が含まれているなら“神”を取るべきです。
より高い次元を手にすれば、それより下の次元は丸ごと手に出来ますからね。
私が“神”なら、“神”を知る事が出来ます。
それを以て、私が“神”か否かを判断します。
誰に何を言われようが、一切のブレ無く「“神”とは云々です」と言える事が必要です。
他人が言う“神”ではありません。
私の言う“神”が私の“神”であって、それを知って(言えて)初めて「私は“神”である」と認める事が出来る気がするのです。