“偉大” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

まだ可能性の段階で精査する必要が有りそうですが、当て嵌まる言葉は“偉大”のようです。

 

「何か、飛び抜けて程度が高い」という事はずっと感じていたのですが、確かに“偉大”という言葉はそれに相応しいと思います。

 

私は“偉大”である。

 

もくしは、私は“偉大”な存在である。

 

…と言いたいのかも知れません。

 

 

 

ただ、本当に精査が必要になります。

 

私はネガティブなものなら割と簡単に認められるのですが、こういう大袈裟な言葉には慎重になります。

 

「私の中に在るこれは間違いなく“偉大”だ」と確信出来ない限り、「私は“偉大”である」と断じる事は出来ません。

 

「本当にこれは“偉大”なのか?」と疑い、確認しているのが今の私です。