“みっともない私” | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

自己保身とは自己否定に他なりません。

 

「本当の自分はそうなのだが、そんなみっともない姿を人に見られるわけにはいかない」と言っているわけですから、それを自己否定と呼ばずに何と呼ぶでしょう。

 

そうですね、“みっともない”です。

 

“みっともない私”です。

 

それを私は見付けたかったのかも知れません。

 

 

 

私は自己保身は許せません。

 

しかし、“みっともない私”は許せます。

 

現にそうであるのだから、許すも何もありません。

 

真に“みっともない”のは、“みっともない私”を隠そうとする事です。

 

誰でもそんな姿を見て良い気分にならないのは、深いところでそれを知っているからでしょう。

 

 

 

もう1つ、“がめつい”というのも出て来ました。

 

私はこれも許します。

 

凄く疲れそうですが、「がめつさ全開で生きてみたら楽しいんじゃないか」とさえ思います。

 

いや、やっぱり何か下らないですね。

 

 

 

私は“金”の事は忘れていません。

 

しかし、まだ出て来ないんですよね。

 

「このままで良いはずだ」という感じは変わらないのですが、「一体どういう事なのだろうか?」と考えてしまいます。

 

そういう事を考えても手応えが無くて、これでは答えも出せません。

 

本当、どういう事なのでしょう。

 

不安、心配、焦り、恐れ…そう言ったものも無いのです。