“幸せ”を知る(学ぶ)事が課題 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

単純に“幸せ”という言葉だけでは、感じているものとは一致しなくなりました。

 

もはや“幸せ”は私の中に在る事も、私自身が“幸せ”そのものである事も疑っていませんが、真の意味で“幸せ”を受け入れる為には、その意味を深く理解せねばなりません。

 

「深く理解する」とは、「私自身に対して完璧に説明が出来ねばならない」という事です。

 

ちょっとでも穴が有ると「何か変だな」と感じる私ですら、「ああ、それ以外の答えは無いね」と納得出来るくらい、深い理解が必要なのです。

 

それもそう時間は掛からないと思いますが、待ち遠しく思います。

 

 

 

今では何を見ても「根底には“幸せ”が在るな」としか思えなくなりました。

 

どんな騒ぎを見ても、どんな事件を見ても、その当時者が「“幸せ”に成りたい」と叫んでいるようにしか思えないのです。

 

これは、「私が私に対して“幸せ”を許可出来たから」と思っています。

 

何を見ても“幸せ”が透けて見えるように、何でもかんでも“幸せ”と結び付けるように、思考の癖が付きつつあるのです。

 

 

 

やはり“幸せ”は“愛”に優ると思います。

 

少なくとも、私の中では“幸せ”は“愛”の上位に位置します。

 

“愛”にも充分に価値が有りますが、“幸せ”のそれは比較にならない程高みにあります。

 

地球の中にも宇宙は有りますが、その範囲や大きさは宇宙そのものとは比較になりませんね。

 

地球を“愛”に、宇宙を“幸せ”に例えれば、どれだけ差が有るか分かると思います。

 

 

 

私はまだ、“幸せ”を知りません。

 

だから、こういう事を言うのは早いと思いますが敢えて言います。

 

「彼女は、とんでもないものを私に寄越した」と。