私の中で“金(かね)”が詰まっている | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

「全て私の中に在る」と言うのは、いちいち思い出したり確認したりする必要が無いくらい、私の中では当然の事として在ります。

 

“お金”も例外ではありませんが、やはり“お金”という言葉は少し微妙です。

 

名前の前に「お」を付けるのは、他者に対する敬意を込めた表現ですが、「私の中に在るものに付ける必要は無いのかな」と思います。

 

 

 

私は普段、“お金”なんて上品な言い方はしません。

 

そのまま“金(かね)”と言います。

 

“女性”と呼ばずに“女”と呼ぶのと同じです。

 

よりリアルに生々しく響く言葉が私には必要です。

 

今後は“金”で良いと思います。

 

貴金属の“金(きん)”とも読めてしまいますが、私が分かっていれば良いでしょう。

 

 

 

タイトルを読んで、「言葉の使い方が少しおかしいのではないか?」と思う人も居るかも知れません。

 

でも、今はこれで正しいです。

 

「私の中に“金”が詰まっている」だったら良かったんですけどね。

 

「私の中で“金”が詰まっている」は塞き止められている事を意味します。

 

私はこんな苦しいものを持っておきたくありません。

 

「ちょっと、私の中から出てくれないかな」と思うわけです。

 

「“金”を出すってそういう事なのか?」とか思ったりもしています。

 

 

 

本当に出ようとしている気配が有ります。

 

そして、「やはり」と言うか、普段目にしている紙幣や硬貨とは全然違うと思います。

 

紙幣や硬貨と、私の中に詰まっている“金”が全く重ならないのです。

 

「全然関係無いんじゃないか」とさえ思います。

 

私は「頑張って出そう」とはしません。

 

ただ、1回「出ろ」と言うだけです。