外も内も放っておく | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私は内で何かを感ずる度に、「納得するまで追求しよう!」という姿勢を貫いていましたが、それは内に在るものに対しての干渉に他なりません。

 

「対象が外界か、己の内か」という表面的な違いだけで、やっている事は同じです。

 

私は事有る毎に追求するのは辞めようと思います。

 

哲学もスピリチュアルも辞めてしまいます。

 

 

 

「“それ”をする目的は何なのか?」と言うと、「“それ”をしなくても良くなる為に」なのです。

 

“それ”にはあらゆる事象が当て嵌まります。

 

何を当て嵌めてもそうなります。

 

最後はそうなる事を目指して、そうするのです。

 

 

 

私は答えを欲しがりますが、どうせ答えは出るのです。

 

だから、答えを得る為の哲学やスピリチュアルは辞めてしまって良いでしょう。

 

哲学をしない事。

 

スピリチュアルをしない事。

 

それが本当の哲学、本当のスピリチュアルだと思います。

 

 

 

私は黙って居ます。

 

尋ねられれば答えますが、そうではないなら黙って居ます。

 

私は「言葉の力を得られる」と自覚していますが、最も力を持つ言葉は  なのでしょう。