軌道修正 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

やはり脱線し掛かっている感が否めないので軌道修正します。

 

私が気にしているのは「私が存在するか?」ではありません。

 

「私が求める答えは何なのか?」です。

 

その問いの延長線上に“存在”が有るなら良いですが、そうでないなら始めからズレています。

 

正しい答えを得られても、それが私の求める答えではないのなら何の意味も有りません。

 

私の基準は「正しいかどうか」ではなくて、「求めているものかどうか」なのでした。

 

 

 

「答えは存在するのか?」ではありません。

 

私はそんな事を問うていないし、求めてもいません。

 

「答えは存在する」という事が分かったとて、それが何になるでしょう。

 

分かって意味が有るのは「答えは○○だ」です。

 

1+1の答えを求める時、「この問題に答えは有るのか?」という問い方はしません。

 

「この問題の答えは何なのか?」という問い方をします。

 

どうやら、私は問い方のセンスがあまり良くないようです。

 

 

 

「問う(答えを探す)のを辞めれば良い」と言うのは正論です。

 

それは完全に正しい事だと思います。

 

でも、次から次へと「変だな。何で?」が湧いて来るのです。

 

「変なのはあなたじゃないか」と言われれば、それも正しい事でしょう。

 

そうなると、「私の何処がどう変なのか?」を知りたくなるのです。

 

“変”とか“無知”とか“馬鹿”とか、私が「それなら探さなくても良いよね」と、答えを探さなくて良い納得出来る理由が見付からない限り、私は探す事を辞めないと思います。