自分自身を表す言葉が欲しい | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「言葉は何の為に存在するか?」と言うと、私の場合は「自分自身を表す為」です。

 

普通は「他者とのコミュニケーションの為」と考えると思いますが、私は「自分自身とのコミュニケーションの為」なのです。

 

私が他者を己の鏡とする以外に必要としないのは、「他者とのコミュニケーションの本質は、自分自身とのコミュニケーションに他ならない」と認識しているからです。

 

「自分自身と上手く関われていれば、他者との関わりも最適化される」という事を、身を以て理解したのです。

 

 

 

私は常に今の自分自身を表す言葉を探しています。

 

「どうしてそうなのか?」は幾ら探っても出て来ないし、「持って生まれた性質のようなもの」と言う他無いと思います。

 

「何も要らない」というのは、「今の自分自身を表す言葉以外は」という意味です。

 

「今の自分自身を表す言葉をどれだけ欲しているのか?」を強調する為、「何も要らない」という大袈裟な言葉を用いているのです。

 

「自分自身を言葉で表す事」が、私にとっての「自分自身とのコミュニケーション」です。

 

言葉が的確であればある程、求める言葉に近ければ近い程、自分自身とのコミュニケーションは親密となって行きます。

 

 

 

「私は何なのか?」をもっとストレートに表現すると、「今の自分自身を表す言葉が欲しい」になります。

 

言葉1つで良いのです。

 

それだけで、その言葉が持っている力(性質・要素)は私のものとなります。

 

「完全に一致しなくてはならない」という制約が有るので言う程容易ではありませんが、見事発見出来た時の見返りは他の全てを擲つ価値が有ります。

 

「その為の人生であって、その為なら人生を擲つ」と言っても良いです。

 

「人生よりも上位に位置しているのが、その唯一つの言葉」というわけです。

 

 

 

凄く大雑把に言うと「私の本質は言葉である」とか、「私の本当の姿は言葉(が持つ力)である」と言えます。

 

「究極的な真理は言葉で表現出来ない」と言われますが、私にとっての究極的な真理なら可能だと思っています。

 

私にとっての究極的な真理とは、私が最も知りたい事であって、私が最も欲しい自分自身を表す言葉です。

 

「真理とは何か?」と問われたら、私はそう答えます。