“何か”を感じ始める | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

「“何か”を感じ始めている事に気付いた」、あるいは「“何か”を感じている事を認識した」というのは、“それ”の始まりであって終わりです。

 

“それ”は既に来ているのです。

 

「“それ”は既に来ている」とは、「“それ”の結論は既に出ている」という事です。

 

「終わり」とはそういう事です。

 

後は“それ”の言語化を試みるだけです。

 

「始まり」とはそういう事です。

 

 

 

何度も言っている事ですが、これが私の唯一したい事であって、唯一すべき事です。

 

感じるものを観て読み解く。

 

外の世界に意味を見出だせない私が、唯一意味を感じる事です。

 

私がこれをしている時、「何故、こんな事をしなくてはならないのか?」という疑問は一切出て来ません。

 

逆に私がこれをしない(無視している)時、全く違う別の事をしている時、私の中はその疑問で一杯になります。

 

 

 

“これ”は一体何でしょうか?

 

この探究こそ、私にとっては存在意義に等しいのです。

 

「これをしない私は私ではない」と言っても過言ではありません。