お金が出て来るのを見張っている | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

本当は見張らないで居るのが一番良くて、最終的にはそうなると思いますが、今の私がしたい事がそれはので遠慮無く見張ります。

 

つい先程、伸びた髪を見て「そろそろ床屋に行かないと駄目かな」と思ったのですが、私が目撃したいのはこのお金バージョンです。

 

昨日まで「床屋に行く」なんて欠片も思わなかったのに、昨日伸びた髪を見た瞬間にそう思ったのです。

 

昨日と今日で髪の伸び具合なんてほとんど同じで、昨日だって髪を見ているはずなのに…です。

 

「もしかしてお金も同じでは?」と思うのです。

 

 

 

「手持ちのお金が無くなるのを待っているんじゃないか?」と予想した事が有ります。

 

私は床屋に行く時、髪が伸びるのを待っていたわけではありません。

 

「このまま伸び続けたらどうしよう」とも、「髪を切って貰えなかったらどうしよう」とも思いません。

 

そんな事を心配する私が居ないからです。

 

でも、お金に対しては心配する私が居たのです。

 

「今度はどうだろうか?また出て来るのだろうか?」と、お金が出て来るのと共に見張っているのです。

 

 

 

お金が出て来た時、手段も一緒に出て来ると思います。

 

その手段を受け入れられれば、つまり拒絶する私が居なければ、お金自体には困らないかも知れません。

 

お金に困るのは、「そんな手段じゃ嫌だ!」とごねるエゴが原因だと思います。

 

「そのエゴが居なければ、何も困らないんじゃないか?」という事です。