「悟りたい」を叶える方法 | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

あまり「悟りたい」と思う人は多くないと思いますが、それを叶える方法が存在します。

 

この方法を知っているからと言って、「私は悟っている」と言うつもりはありません。

 

そもそも、私は「悟りって何?」と問われても答える事が出来ません。

 

「知らない(何の事を言っているのか分からない)」が最も正直な答えになります。

 

「じゃあ何故、『悟りたい』を叶える方法を言えるのか?」という事ですが、それは単純に「本当に叶えたいのは『悟りたい』ではないから」です。

 

私は「悟りに至る方法を知っている」とは言っていません。

 

「『悟りたい』を叶える方法を知っている」と言っているのです。

 

では始めます。

 

 

 

まず、最初に自覚せねばならないのは、「『悟りたい』は遠回しな言い方である」という事です。

 

「何故悟りたいのか?」の、「何故」の部分を突き詰める必要が有ります。

 

私が思い付く限り、考えられるのは以下の3つです。

 

・苦しみ(都合の悪い事)から逃れたい

 

・凄いと思われたい

 

・自分自身を知りたい

 

やる事は全部同じなのですが、順番に見て行きましょう。

 

 

 

「苦しみから逃れたい」というのは、外界に埋没して生きる限りにおいて、極めて当然の欲求と言えます。

 

しかし、今苦しんでいるなら、その苦しみから逃れる方法は存在しません。

 

苦しみに対する最も正しい対処法は「苦しむ事」です。

 

「苦しみを拒絶する事を辞め、苦しみを受け入れる事」です。

 

逆説的になりますが、これが結果的に苦しみから逃れられる事になります。

 

「悟りたい」の意味が「苦しみから逃れたい」の場合、これで「悟りたい」は叶います。

 

 

 

「凄いと思われたい」というのは、早い話が承認欲求です。

 

自己価値や自己評価が著しく低い状態おいて、外部でそれを満たそうと思った時、こういう意味での「悟りたい」が出て来ると思います。

 

対処法は「価値や評価の低い自分自身を認める事」です。

 

「何を理由にそこまで自分自身を貶めているのか?」という事を突き止め、その理由を含めて自分自身を「現にそうなのだから」と認めるのです。

 

ハッキリ言って欲求の強さ次第では、自死を選んでも不思議ではない程の地獄の苦しみを味わうと思いますが、「悟りたい」の意味が承認欲求の類いなら、この方法以外で「悟りたい」を叶える方法は無いと思います。

 

 

 

最後の「自分自身を知りたい」は、文字通りそのままの意味です

 

ただし、これは上の2つと違って終わりが見えません。

 

人生の最後、死ぬ瞬間まで続ける事を前提としなくてはなりません。

 

その関係上、表面的には次から次へと言う事が変わります。

 

「言う事が変わります」と言うのは、「『悟りたい』の中身が変わり続ける」という事です。

 

同じ「自分自身を知りたい」という意味で「悟りたい」という言葉を使っていても、ある時は異性の事、またある時はお金の事と、1つに定まる事が有りません。

 

 

 

この場合の「悟りたい」の本質は「知りたい」であって、「知りたい」という事は「知らない」という事です。

 

だから、「悟りとは何?」と聞かれて「知らない」が最も正直な答えになるのは、そういう理由からなのです。

 

「『知らない』という事を知っている」という無知の知、「知らない」という事を恥としない心持ちが必要になります。

 

「知っている方が良い」という価値観を持たず、「知らない方が良い」という価値観を楽しめるようでなくてはなりません。

 

 

 

以上が「悟りたい」についての私の知り得る限りとなります。

 

もっと枝葉を拡げようと思えば幾らでも拡げられると思いますが、今回の記事だけで充分な事でしょう。