それが出来るなら、もう人の領域ではない | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

「“赦し”、または“癒し”」が近いと感じます。

 

残念ながら「完全一致」ではなさそうですが、「ニュアンスはかなり近いものがある」と思います。

 

「最大の“復讐”。正しい“復讐”。それは“赦し”」みたいな結論になるかも知れません。

 

そんな事を感じ、考えていると、人を見る目も変わって来ます。

 

こちらを傷付けようとする人に対しても、「何でこんな事をするんだ!」から、「この人の心は傷付いているのだな」に変わるかも知れません。

 

「攻撃対象に理解され、癒された」となると、完膚無きまでに叩きのめされる事は必定です。

 

己の過ちに気付き、自ら悔い改める事になれば、攻撃された側からするとこれ以上無い“復讐”となるに違いありません。

 

 

 

ここまで来たら、「もう人の領域ではない」と思います。

 

「神の領域に片足を突っ込んでいる」と言っても過言ではなく、「取り繕うのではなく、自然体でそういう人が居たら“聖人”と呼んで良い」と思います。

 

「自分を傷付けようとした者の心を理解し、“赦し”と“癒し”で返報する」という姿勢には、もはや“聖性”すら感じられます。

 

そんな人間が居るわけがありません。

 

もし居たら、それは人間の姿をした別の何かです。

 

 

 

“赦し”や“癒し”では微妙に届かない何かが私の中に在ります。

 

私はそれを知らねばなりません。

 

それは弱く、微かです。

 

「何を言っているような気がする」という事は辛うじて察知出来る程度で、「やり返したい!」みたいな大声ではありません。

 

「こんなに小声では、他の声が有ったらかき消されてしまう」という事が分かります。

 

一体何と言っているのでしょう?