最終的に私が求めるのは、「もう“○○”しなくて良い」です。
それはこのブログ開設当時から思っている事です。
最初は「もう働かなくても良い」だと思って、内外問わずやれる事は全てやり切ったのですが、違う事が分かっています。
そこで今、ふと思ったのが「“○○”に当て嵌まるのは“心配”ではないか?」という事です。
私はもう“心配”しなくても良い。
…何だか随分、それっぽい気がします。
その為には、一生分の“心配”をし切るつもりで、今の“心配”を受け入れる必要が有ります。
何かしら意味が有るから、何かしら必要だから、私は今“心配”なのです。
意味も必要性も無くする為には、“心配”が持つ意味や本質を理解しなくてはなりません。
そうすれば、“心配”の役目を終わらせる事が出来ると思います。
鳩尾に空気が詰まっているようで苦しいですが、このまま“心配”と向き合い続けます。