今まで感じた事が無いものを感じています。
言葉にするなら、「鋼鉄の線がピンと張ったような感じ」でしょうか。
「非常に硬い」と表現しても良いです。
「鳩尾に何かを感じる」というのは、メタ認知をしていれば日常茶飯事ですが、このような感じ方は今までに無かったと思います。
もう“自由”でもありません。
一体何なのでしょうか?
「最終的な目的は“涅槃”で良い」と思います。
私の中では“安心”と“涅槃”は同じ意味ですが、より惹かれる“涅槃”という言葉に統一します。
“幸福”の線も考えましたが、「“涅槃”が私にとっての“幸福”」とし、分けて考えるのではなく一緒の事として考えようと思います。
「私はそれを求めてメタ認知をしているのだ」と認知して良いでしょう。
奇しくも、またもや仏教を、悟りを参考にする機会が巡って来そうです。
早速“涅槃”を調べてみると、「悟りの境地に至った人の死」を言うそうですね。
つまり、「“涅槃”を目的にする」というのは、「完成に悟った状態で死ぬ」という事で、生き方ではなくて死に方の問題になりますね。
同時に、生きる目的も「完全な悟りの境地に至る」という事に定まります。
そうなると、生死の目的が1つに成って、生死の区別が付けられなくなります。
そこに私が本当に求めるものが有るのかも知れません。