天職と才能 | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私はかつて、「自分の天職は何か?」とか、「自分の才能は何か?」と考えた事が有ります。

 

おそらく、私のそれは「自分自身を観る事」だと思います。

 

観照や内観が近いのですが、私は日常的にはそう呼ばないのでちょっと違和感有りますね。

 

とにかく、それが私の天職であって、才能なのだと思います。

 

実際、外の世界で何をしていようが、本当にやっているのはそれだけです。

 

 

 

私は今、「自分自身(感じているもの)から目を逸らさない事」を意識しています。

 

以前は無視をしたが為に、失敗としか言い様が無い経験をしました。

 

「今回も外的結果は同じになったとしても、自分自身を無視する事だけはしない」という事を決めたのです。

 

「自分から目を逸らすと痛い目を見るのは分かったが、自分を観続けるとどうなるのか?」という事を確かめたいわけです。

 

 

 

ここからが本題になります。

 

私は今朝、「自分自身を観続けるだけで生活が成り立つなら、こんなに楽で都合の良い話は無い」と思いました。

 

今の私はどうしても生活と“お金”を切り離す事が出来ません。

 

なので、こういう表現の仕方になってしまいますが、「自分を観続ければ“お金”に成るのなら、こんなに楽な稼ぎ方は無い」という事でもあるのです。

 

 

 

私にとって「自分自身を観る事」は、“お金”よりも大切な事です。

 

既に“お金”以上のものを持っていて、「それが何であるか?」も分かっているのです。

 

どう足掻いても「自分自身を観る事」を優先せざるを得ないのですが、もし本当に“お金”を生む事になれば何の問題も有りません。

 

今は「自分自身を観続けるだけで、本当に生活が成り立つのか?」という疑問が有る状態ですが、それは「確かめてみないと分からない」というだけで、自分自身に不信を感じているわけではありません。

 

 

 

才能とは、誰に教わらずとも自ら学び、当たり前に出来てしまう事を言います。

 

そうするのが自然であり、そうしないでいる方が逆に辛くなる事が才能です。

 

私は全く社会には適合しないのですが、それは私の才能のせいです。

 

私の才能は社会的には何の価値も有りません。

 

しかし、「社会と才能、片方を選べばもう片方が犠牲になるとしたら、どっちを取るか?」と言われれば、私は「才能を取る」という選択をします。

 

「それだけをやっていたい」のですよね。