“働く”でようやくまともな反応を得られました。
今は「“働く”と言っている」という解釈で良いと思います。
先に何度か確認し、今も確認しながら記事を書いていますが、多分それで合っているでしょう。
後はひたすら突き詰めて行くだけです。
この“働く”は、この世には存在しません。
私の内に在るのです。
なので、「外の世界に出て働く」とか、「外の世界に職を求める」という事はしません。
それは雇われだろうが起業しようが同じです。
私がするのは「私の内に在る“働く”を感じる事」であり、私が考えるのは「私の内に在る“働く”をどうするのか?」という事だけです。
私は今も「働くのは無駄だ」と思っているのですが、この“働く”ならその限りではありません。
「この“働く”ならば、”積極的に“働く”べきだ」と思います。
私は“働く”を否定しません。
それは、私の中の“働く”も分かっているでしょう。
どういう形で受け入れる事になるにしろ、そこに至るまで長い時間は必要無いと思います。
これで私は真の意味で働いている事になります。
後はその真意を掴むだけです。
今の印象としては「地味だが力強い」と言った感じでしょうか。
古き良き時代の働き者が持っていたような、人間味を感じる性質です。
「日本人的だなぁ」とも思います。
少なくとも、お金に目が眩んだ者のそれとはまるで違うものです。
それが私の中に在るのです。
一体何でしょうね。