私が救うのは人類ではありません。
“世界”です。
人類だけを指して“世界”と呼ぶつもりはありません。
“世界”が人類だけで構成されているわけではないのは、誰の目にも明らかな事です。
仮に“世界”が救われる為に人類が滅ぶ必要が有るとするなら、私はそれを肯定します。
「どうやって救うのか?」なのですが、「私が“世界”を受け取る事が即ち救う事になる」と思います。
私がするのは、私が「こんなクソゲーは要らぬ」と言っている“世界”を受け取るだけです。
今のところ、それ以外に何かをするつもりはありません。
「外界に出て行って何かをする」という未来を想像する事が出来ません。
誰が試みても失敗しているようにしか見えない事を、私はわざわざやりません。
私はもう、最終的な答えを知っているのです。
「あれも違う。これも違う」を繰り返しながら、私はそこを目指して歩んでいます。
未だその答えに辿り着きません。
しかし、「辿り着けば分かる」という事を知っています。
“世界”が観測可能な最高次元なら、きっとその答えに辿り着くでしょう。
私が受け取った“愛”は人の愛です。
それは間違いなく、1人の人を対象としたものです。
“世界”を受け取る事は、所謂“神の愛”や“仏の慈悲”と同じ意味を持つかも知れません。
私はお金を「現代の神仏だ」としましたが、それはあくまで人の神仏であって、“世界”の神仏ではありません。
今となっては「神仏が対象を人類だけに絞る事って有り得ない」と思うのです。
救うなら、“世界”そのものを救うはずではありませんかね。