“お金持ち”である事を認める事は出来るか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

この問いに対しては「認める事が出来ない」が私の答えなのですが、他の要素と組み合わせて考えてみると、これが本当の答えとは思えません。

 

まず、「“お金持ち”ではない事を認める事は出来るか?」という問いだったら、私は「認める事が出来る」と答えます。

 

これはすんなりと認める事が出来るのですが、私の中の“お金持ち”はこの答えを全く受け取らない事が分かります。

 

正しい答えなら、私の中の“お金持ち”は「解放された」と云わんばかりにスッと消えるか、「それが本当の答えだ」という反応を返すはずなのです。

 

だから、「“お金持ち”ではない」は正しくないのです。

 

 

 

次に、問いに対して「認める事が出来ない」とハッキリ答えている点です。

 

「そうではないものを認めない」という事なら何の問題も無い…というか、「え?何を言っているの?」という反応になります。

 

「認める」も「認めない」も無いので、「認める事が出来ない」という反応は絶対に出て来ないのです。

 

「それがハッキリ出た」という事は、遠回しにそうである事を認めてるようなものなのです。

 

 

 

この2点だけでも、「私が本当は“お金持ち”である」という可能性に寄るんですね。

 

ただ、“それ(“お金持ち”)を認めない私”が私の中に居て、それが“お金持ちな私”の声よりも大きい(強い)から、「“お金持ち”を感じられない」という事なのかも知れません。

 

私は「もうどっちでも良いから、この煩わしさから解放してくれ」と思うのですが、その為には白黒をハッキリ付ける必要が有ります。

 

その解放条件が「“お金持ち”である事を認める」という以外に無いのなら、“お金持ちを認めない私”には消えてもらうしかありません。

 

 

 

白黒ハッキリ付けるには、「感じているものは何か?」を明確にする事が必要です。

 

明確に“お金持ち”を感じ取ったなら、その時点で“お金持ちを認めない私”は消えます。

 

「そうである」という事実を目にしては、流石のエゴも認めざるを得ないからです。

 

「一度に1つの方向しか見れない」となると、ここは可能性の高い“お金持ち”の線で見て行くべきでしょう。

 

「成るのなら早く成って」というのが正直な気持ちですが、“お金持ち”に固執するつもりは有りません。

 

“お金持ち”を無理矢理捩じ込むつもりは無いのです。

 

「それが真実なら、さっさと認めて楽になりたいわ」という事なだけです。