私がイメージした通りの“お金”を手に入れる方法を思い付く | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

「今の自分が良過ぎて、絶対に以前の自分に戻りたくないな」とぼんやり考えていると、唐突にある事を思い付きました。

 

それは、「当然の如くお金を要求出来るようになれば良いのでは?」という事です。

 

「感じた事を言葉で表現する」というのは、私のスピリチュアルの真髄であり、私の願望それ自体と言えるものです。

 

「お金をくれ」と平然と言えるようになれば、さぞ気持ちの良い事だろう。

 

…と思ったのです。

 

 

 

その場合、然るべき相手に要求する事が必要になります。

 

例えば、「愛を伝えたい」と願うなら、“愛”を感じる人に言わなくてはなりません。

 

“愛”以外のものを感じている人に向かって「愛しています」と伝えても、それは伝えた事になりません。

 

「感じる事を言葉で表現する」とは、感じている事と対象を正確に一致させて初めて意味が有る事なのです。

 

 

 

「お金をくれ」と要求したいなら、“お金を持っている”と感じる人でなくてはなりません。

 

表面上どれだけお金や資産を有していても、その人に感じられるのが“ケチ”だとするなら、その人に要求する事は出来ません。

 

「あんたは金持ちじゃない。“ケチ”だ」と言うのが、この場合においては正しい伝え方になります。

 

私は「“ケチ”に成りたい」のではなく、「お金を要求したい」のですから、“お金を持っている”と感じる人が必要になるわけです。

 

 

 

ここからが肝になるのですが、この話を成立させるには「“お金を持っている”と感じる人に実際に出会う事」が必須条件となります。

 

逆に言うなら、「必要な条件はそれだけ」です。

 

そう感じる人に出会った時点で、私は少なくともその人と同じレベルで“お金を持っている”という事になります。

 

こうなれば、その人に対して「お金をくれ」と要求する必要も有りません。

 

そう感じられた時点で、既にその人からお金を貰っているからです。

 

後は私の中で上手い事消化出来れば終わりです。

 

“愛”と同じく、私がイメージした通りの“お金”を手にすると思います。

 

 

 

どうやったら“お金を持っている”と感じる人に出会えるか?

 

それは、その時その時で「こうしたい」とか、「彼処に行きたい」と思う事があれば、素直にその通りにする事でしょうね。

 

それ以外無いです。

 

「“お金を持っている”人に会いたい」とか、「“お金を持っている”人を探そう」とか、そういう意識が有っては駄目です。

 

私はその点は心配ありません。

 

方法を思い付いただけで満足し切って、後の事は対して気にしない性分だからです。