何と表現したら良いか、特段何かを気にする必要の無い毎日が続いています。
幸せと言えば幸せであり、楽と言えば楽であり、自由と言えば自由です。
「私が悟りに求めたものそれ自体なのか?」と言えば、正直なところ分かりません。
しかし、「何かしらの私の願望は叶っている状態だろう」とは予想出来ます。
感じ方が、身や心の軽さが以前とは全く違うからです。
特別凄い事のようには思いません。
「何でも無い」と言えば何でも無いです。
私の中に「凄い」とか「凄くない」とか、そういう事を騒ぎ立てる私が居ないのです。
「このままずっと変わらないなら、永遠を過ごしても苦にならない」と思います。
やっぱり全ての原因は“○○な私”なのでしょうね。
“それ”が居なければ、私はこんなにも楽に過ごせるのです。
そんな日々が続く中、僅かに何かを気にしている私が居る事に気付きました。
「それは何だろう?」と突き詰めて行くと、“税金”の可能性が高いと思います。
そう言えば、最近ではYouTubeで“税金”の話題を良く目にしています。
全く意識せずに視ていたのですが、ひょっとしたら今の私が向き合う課題なのかも知れません。
私は“税金”に全く良い印象を持っていません。
必要性を語るそれっぽい説明は幾らでも見付かりますが、到底私が納得(理解)出来るものではありません。
私が物事を理解する術は唯一つ「“それ”を感じる事」です。
“税金”を理解しようと思ったら、「“税金”を感じる」という事が必要です。
おそらく、「差し押さえが怖いのではないか?」と思います。
そうしますと、「私が感じるべき“税金”とは“差し押さえ”の事だ」と考えられます。
もし、その考えが正しいとして、何かしらの内的根拠を得て「“差し押さえ”を喰らっても平気だわ」という状態になれば、私は“税金”について何も気にしなくなるでしょう。
死ぬ(生きる)事を気にしないのに、何故“税金”は気にするのでしょうか?
それは、「私の中にその原因が有るから」ですね。
「死ぬ事を気にする原因は無いが、“税金”を気にする原因は有る」という事です。