何から解放されたがっているのか? | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私は「何かから解放されたい」と思っています。

 

そして、「その暁には絶対安心の境地に至れる」と信じています。

 

“私の悟り”とは、その絶対安心の境地に至る事です。

 

つい最近“他力の信心”とか、“信心獲得”という言葉を知りましたけども、「これは私の求める絶対安心の境地の事を言っているのではないか?」と思ったわけです。

 

 

 

問題は「何から解放されたがっているのか?」という事です。

 

まず、“死”ではない事は明らかでした。

 

その理由を語ればキリが無いくらい、「あらゆる角度から見てもその線は極めて薄い」とする根拠が私の中に在るのです。

 

そもそも、私は「“死”は無い」と考えているのですが、その時点で大した問題にしていないわけです。

 

向き合うべき重大な問題なら、それを今ひしひしと感じていて、「他の事は全部後回し」という勢いで取り組んでいるはずです。

 

 

 

次に“生”が浮かびました。

 

一瞬「これか?」と思いましたが、直ぐに違う事が分かりました。

 

「“死”よりは近い」という感じがしましたが、それ以上深堀出来そうな気配を感じなかった私は振り出しに戻り、改めて「何から解放されたいのか?」を自身に問いました。

 

解放されたがっている事も、その先には絶対安心の境地を期待している事も、とても勘違いだと思えないので、「何だろう、何だろう」をひたすら繰り返しました。

 

 

 

断言は出来ません。

 

「可能性が有る」としか言えないものです。

 

一応、「これかも知れない」と思うものを見付けました。

 

これは別に言っても問題無いので言いますが、“今この瞬間”です。

 

「私は“今この瞬間”から、解放されたがっているのではないか?」と思ったのです。

 

 

 

“今この瞬間”は、“今ここ”と表現した方が分かる人には分かるかも知れません。

 

「今」とか「この瞬間」とか言いつつ、時間の事では無いのですが、それが余計に理解を難しくしています。

 

ただ、そういう表現を用いる以外、適切な言葉が浮かばないのです。

 

「“死”がそうではない」としたのと同じくらい、「これかも知れない」と思う理由は沢山有ります。

 

“今この瞬間”を避けようとしている事が全ての原因だとしたら、受け入れれば全てが解決するのではないか?

 

そうも考えているのです。

 

 

 

ただ、極めて重大な問題が有ります。

 

「私自身、“今この瞬間”とは何を指すのか分かっていない」という事です。

 

分からないものは「分からない」と認める事は出来ます。

 

しかし、分からないものは受け入れる事が出来ません。

 

「受け入れる」とは、「理解する(悟る)」と同義です。

 

「“今この瞬間”とは何か?」が分からないといけないのです。

 

 

 

私は“今この瞬間”の理解に努めます。

 

“今この瞬間”を知っているのは、“今この瞬間”以外にありません。

 

“今この瞬間”とは、何の事を言っているのか?

 

それを知る事から始めます。