“頼る”ではなくて“頼り”なら、何とか分かりそうです。
「私は“頼り”に成りたくもなかったし、誰かを“頼り”にしたくもなかった」という事なのでしょう。
それが面倒に感じていた理由なのだと思います。
ここまではこれで良いかも知れません。
しかし、もっと洗練する必要が有ります。
まだまだ、“何か”が私の中で強く感じられています。
その“何か”を悟り切るまで、追求は終わりません。
「“頼り”に成りたくない」と思っている時点で、そう成ってしまう事は確実です。
いや、もう成っているかも知れません。
“頼り”に成らないのなら、「“頼り”に成りたい」と思っているはずです。
「では“頼り”とは何か?」という事になるのですが、これをそれから模索するのです。
“他力”と同義で、「もう限界だ」とする壁を超えるものなのか?
その可能性が見えていなければ、本当に面倒に感じている“頼り”を見詰めようだなんて思わなかった事でしょう。