“安心” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

私にある考えが浮かびました。

 

幾つか条件をクリアーしなくてはなりませんが、その考え通りであるならば、私はこの世の誰よりもお金持ちに成る事が出来ます。

 

その資産額は兆や京どころではありません。

 

“無限”になります。

 

同時に“0”にもなります。

 

「何故そうなるか?」を説明したいと思います。

 

 

 

私がお金に求めたのは“安心”だと思います。

 

お金の本質は人によって幾つも存在し得るのですが、私の場合は“安心”と考えてほぼ正解だと思います。

 

“心配”を深堀すると、どうやらお金が無くなる事を“心配”しているみたいなので、「その逆は何か?」を突き詰めれば、そういう事になるのです。

 

そうなると、「自らの内に“安心”を見出だせば良い」という結論が導き出されます。

 

「その結果どうなるか?」と言うと、事実上無くなりも減りもしないお金を得たのと同じ事になります。

 

これが資産額“無限”の意味です。

 

“無限”なので増えもしませんが、それの何処に問題が有るでしょうか?

 

 

 

その時、心情的には「お金なんて無くなっても構わない」となると思います。

 

「お金が無くなる」とか、「お金が減る」とか、私の中で意味が通らなくなると思います。

 

こうなると、完全にお金という概念から自由になる事が予想されます。

 

「どんなお金持ちでも敵わない“無限”の資産を有する」と言える一方で、「この世で最も資産を持たない」とも言える状態になります。

 

こうして“無限”と“0”が矛盾無く成立するのです。

 

 

 

この考えが正しいかどうか、それを確かめる為にはクリアーしなくてはいけない条件が有ります。

 

一つは「お金に求めた本質が間違い無く“安心”である事」です。

 

これは「“安心”ではなかったらアウト。やり直し」という事です。

 

もう一つは「“安心”を感じられる事」です。

 

「私の中で実際に“安心”が感じられなくてはならない」という事で、「感じられなかったらアウト。やり直し」という事です。

 

「私は“安心”である」という形になった上で、「それがお金に真に求めたものである」という確証を得なくてはなりません。

 

 

 

お金が無くなる“心配”って、冷静に考えると全く無駄なのですよね。

 

絶対に訪れる“死”がその根拠です。

 

私は“死”については特に“心配”していないので、お金について“心配”するのはおかしいのですよね。