“堕落” | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

ふと、“成功”という言葉が浮かんで来ました。

 

その時直ぐに「上手く行かせる気が無いのでは?」と思いました。

 

“働く気が無い”とは、「上手く行かせる気が無い」という事なのではないか?

 

上手く行かせる気が無いのは、上手く行く事を恐れているのではないか?

 

そう考えてみると、一応は辻褄が合います。

 

私には確かにそういう部分が見受けられます。

 

 

 

では、“成功”を感じられれば良いのか?

 

その考えが正しいなら、今感じているのは“成功”か“失敗”のどちらかになります。

 

しかし、感じられるのはどちらでも無い気がします。

 

上手く行く事を恐れているなら、“失敗”を望んでいるはずなので、“失敗”を感じていないと私としては変なのですが、感じているものは“失敗”とは程遠いものです。

 

かと言って“成功”でも有りません。

 

 

 

こうなると、「“成功”の反対概念は“失敗”ではない」と考えるか、最初から間違えているかのどちらかだと思います。

 

そこで、少し言葉を変えて“成功者”の対義語を調べてみる事にしました。

 

“失敗者”という言葉は聞いた事が無いので、そこから感じているものに当て嵌まりそうな言葉を探そうと思ったのです。

 

その結果、“堕落”という言葉が今感じているものに近い事を突き止めました。

 

私が言うなら“何もしない”ですね。

 

 

 

こうなれば、私がすべき事は一つです。

 

「感じているものは“堕落”だ」という前提で、思う存分“堕落”します

 

私が望んで止まなかった“何もしない”が意味するのは、“解放”ではなく“堕落”だったのなら、今それを叶えます。

 

しかし、「“堕落”がゴールなのか?」と言われると、それは全然違う気がします。

 

“堕落”の向こう側、更なる奥に、私の感じた事が無い何かが待っている気がするのです。

 

感じているものが本当に“堕落”で、今まで通りのパターンなら、それは“堕落”の反対概念です。

 

例えばそれが“成功”なら、確かに起業とは無関係ではありません。

 

 

 

「とりあえず“堕落”しよう」と思いますが、その為には「感じているものは本当に“堕落”なのか?」を精査しなくてはなりません。

 

「これは“堕落”で間違いない」という確信を得てからでないと、“堕落”しようにも“堕落”出来ないわけです。

 

“働きたくない”と“働く気が無い”で、表面的には意味も言葉も似ているのに、感じ方が全く違ったりする例が有るのです。