“甲斐性” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

何の為の“収入”か?

 

それは“結婚”とセットになっている事からも分かる様に、妻となる“女性”の為です。

 

「微かにそんな事を思っている気がする」という程度ですが、私の心の奥底に「“お金”を“女性”が喜ぶ事の為に使いたい」という気持ちが見えます。

 

私がそれを心から喜べるのなら、本気でそう思っている事が伝わるなら、見返りを求めぬ無償の愛に基づくのなら、歓迎しない“女性”はまず居ないでしょう。

 

感じているものには一致しませんが、ここでは“甲斐性”と呼ぶ事にします。

 

 

 

“甲斐性”に基づくと“お金”の意味が今までとは大きく変わります。

 

“お金”は“女性”を喜ばせる為の手段、幸せにする為の手段になります。

 

私利私欲の象徴が、純粋な利他の象徴になるのです。

 

実現出来るなら本当に素晴らしい事です。

 

それが出来る男性はまさに「男の中の男」と言っても良いでしょう。

 

 

 

「“甲斐性”が感じるものとは一致しない」と言っても、「方向性は正しいのではないか」と思います。

 

“甲斐性”の中に“お金”も“収入”も含まれますが、手段は含まれません。

 

「“甲斐性”を発揮出来るであろう手段は何か?」という問題が残るのです。

 

“甲斐性”を含む何か、“甲斐性”をもう一段上げたものに答えが有るのかも知れません。

 

 

 

独身なら“甲斐性”が要らないのは分かっています。

 

“結婚”も“愛”も一人で完結出来る術を知っています。

 

今のままでも私は良いのに、「それで良し」としないものが私の中に居ます。

 

私はそれを“神”と呼びますが、もしかすると「いい加減外の世界に出ろ」と言っているのかも知れません。

 

今回の記事の内容を実現しようと思ったら、どうやっても内なる世界だけでは完結出来ないので、外に向かうしかないのですよね。

 

 

 

“無職”からぶっ飛び過ぎて、どこまで本気なのか私も分かりません。

 

しかし、感じるものを真剣に辿るとそういう事になってしまうのです。

 

「“お金”で“女性”を喜ばせる」というのは、イメージとしては今の“収入”では不可能な規模です。

 

単発で終わらず、「二人が一緒に居る限りずっと」という感じなのです。

 

そうなればかなりの“収入”を生み出す手段が必要で、且つ私にも出来る事である必要が有るのです。

 

今度はそれを探してみます。