“自明灯” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

自分自身を拠り所とする生き方を“自明灯”と呼ぶそうです。

 

つい先程初めて知った言葉なのですが、今の私の生き方はまさにこれです。

 

もう1つ“法明灯”という言葉が有って、それは真理を拠り所とする生き方だそうです。

 

“自明灯”とは違い、私はなるべくそれに沿おうとする求道者ではありますが、全ての真理を会得してはいません。

 

現に、「“会社”に何を依存しているのか?」という問題の答えを求めている最中です。

 

 

 

少し戻って、「“自明灯”が私の求めた“場所”なのか?」を考えてみたいと思います。

 

“拠り所”という言葉が“場所”を意味してもおかしい話ではないからです。

 

これらを私のスピリチュアルと重ねると、「私は“拠り所”である」もしくは「私は“場所”である」という表現になります。

 

私の中で意味が通れば「本当の意味で手に入れた」という事なので、それを求めたり、それについて迷う事は無くなります

 

 

 

早速重ねてみましたが、意味が通りません。

 

「理屈では通るが、感覚的にはピンと来ない」という状態です。

 

私が求めた“場所”は“自明灯”の事ではないか、もう一工夫必要なのか、“会社”に対する依存の正体を突き止めるのが先なのか、いずれにしても今すぐに解決する事では無さそうです。

 

しかし、今求める答えではないにせよ、私自身の事を表現する言葉は覚える価値が有ります。

 

後々役に立つ事が有るかも知れません。

 

 

 

今の私も、きっと適切に表現出来る言葉が有るはずです。

 

何かに依存しているなら、依存それ自体が私なのです。

 

答えを知ったら「依存する必要は無い」と悟るはずです。

 

答えの出し方は分かっているのに、答えが出るまで時間が掛かるのは何とかなりませんかね?

 

魚の釣り方は分かっているのに、釣果がまちまちな釣り人の気分ですね。