下見に行って来ました | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

次に行く事になる場所へ下見に行って来ました。

 

周辺環境は今住んでいる場所の上位互換と言って良かったと思いますが、本当の問題はそこには有りません。

 

“場所”が意味するものを知る事が本当の問題です。

 

下見と言っても20分も居たかどうかの短い時間で、そこに“場所”の答えが有るのかは分かりません。

 

しかし、今居る刈谷ではその答えを見付けられる可能性が感じられない以上、そこに行ってみる他無いでしょう。

 

 

 

同時に、一人で生きる事も考えたいと思っています。

 

この「一人で生きる」というのは、「組織に属さずに」という意味です。

 

正規とか非正規とか、雇う雇われる以前に、全部自分一人で出来ればそれが一番良いとは思っていますが、今の私にはそれが出来ません。

 

“場所”という可能性が残っているからです。

 

色々足りないものも有るでしょうが、一番大きいのは「私が動く時は、そうする以外に可能性が残っていない時だ」という事です。

 

つまり、「一人で生きるしかない」という状況に追い込まれて初めて、私は一人で生きる為に動き始めるのです。

 

「やらない理由を付けているに過ぎない」と言われればその通りかも知れませんが、それが天の采配に従う事だと思っています。

 

 

 

“場所”が示すのは私自身です。

 

これは必ずそうなります。

 

しかし、意味が通らない事も明白です。

 

その意味を通さなくてはなりません。

 

それが「“場所”の答えを知る」という事であり、「“場所”という可能性を潰す」という事です。

 

“場所”という可能性が潰れれば、他の可能性が出て来ます。

 

その可能性を模索する為に、「そうする以外にない」という結論が出ます。

 

それに従うのです。