感じたものを自分とする私のスピリチュアルが、“悟り”にまで適用されるのかは分かりません。
経験する事=感じる事となれば適用されると思いますが、今の段階では都合の良いこじつけに過ぎません。
何にしろ、頼れるのは私の内で今も感じられている“何か”です。
その“何か”が“悟り”である保証は有りませんが、それでもその“何か”に賭ける以外の選択肢も有りません。
何だか知らないが落ち着かない。
何だか知らないが違和感を覚える。
何だか知らないがしっくり来ない。
何だか知らないがピタリと収まらない。
何だか知らないがカチッと嵌らない。
“これ”は一体何なんだ?
私が“悟り”を求める理由はそこに有ります。
昨日は鳩尾に在った“何か”は、今は腹に来ています。
色々変化をしているところを見ると、近いうちに何かが掴めるかも知れません。