「全てが自分」の視点に挑戦する | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

「全てが自分」という立場になれば、この世に存在するものは全て自分のもの(一部)です。

 

話を簡単にする為に例に出しますと、私が持っていなくてもあなたが1億円を持っているなら、「それは自分が持っている」という事になります。

 

「私が持っていようが、あなたが持っていようが、自分が1億円を持っている事に変わりは無い」という事です。

 

私はこの視点に挑戦してみたいと思います。

 

本当にそう感じる事が出来るかどうかを試します。

 

 

 

私は基本的に中身を得られれば、側(目に見える物)については常に手元に置いておく必要は有りません。

 

1億円を例にするなら、「1億円を持っている」と感じられてさえいれば、目に見える方の1億円はあなたに持っていてもらった方が都合が良いのです。

 

運用とか管理とか税金とか損失のリスクなど、煩わしい事は全てあなたに丸投げ出来るからです。

 

思えば女性も同じですね。

 

“結婚”でも“恋愛”でも“性”でも良いのですが、それらを私が感じて自分のものに出来ているなら、外の世界での役割は他の男性に任せた方が都合が良いでしょう。

 

「外の世界の人には、自分が望む事をどんどん叶えてもらった方が私にとっても都合が良い」という事になりそうですね。