お金の受け取り拒否それ自体が、実はメリットなのではないか?
そう考える事は私の中では無理の有る話ではありません。
「“受け取り拒否”と感じていたものが、本当は“メリット”だった」という事も有り得ます。
もしそうなら私の完全な誤解であり、読み間違いです。
改めて追究しなくてはなりません。
感じているものに“メリット”という言葉を重ねると以外と悪くありません。
悪くないどころか、「そう言っていてもおかしくない」とさえ思えます。
昨日までは“受け取り拒否”だったものが、今では“メリット”になっているのだとすれば、私の中で一体何が起こったのでしょう。
「お金を受け取らない事がメリットである」という事は、スピリチュアルの視点から見ると充分に有り得ます。
普段から自然とその状態が維持されていて、改めようと思っても改まらないのなら、「そこにそうするだけのメリットが有るからだ」と考えられます。
どんなメリットが有るのでしょうか?
それは“メリット”を感じる事で、明らかになるのかも知れません。
もし「得をしたい」という事なら、本当に“メリット”を感じているのなら、それは今実現しています。
私の内に“メリット”を得ているからです。
確かに私は損得勘定で物を考えたり動いたりする面が有るので、尚更お金に“メリット”を見ていた可能性が有ります。
取り敢えず今日はこんなところで良いでしょう。