今の私は何なのか? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

「ずっと“誰か”を探している気がする」と言うのは、そう感じられる以上は勘違いではありません。

 

そして、その“誰か”とは他ならぬ私自身です。

 

しかし、その私自身を知る為には、その私自身を反射してくれる何かが必要です。

 

「鏡となってくれる何かが必要だ」と言っても良いでしょう。

 

 

 

「その鏡がlさんかも知れない」という事なのですが、日を置いて自らの内を覗いてみてもそれ以外の可能性はほぼ見えません。

 

「lさん以外に鏡とはなり得ない」と、どうしても思ってしまうのです。

 

彼女でないと駄目な理由が、彼女を通してのみしか見る事の出来ない私が、そこに在るのでしょう。

 

唯一無二の魂の伴侶たる“ツインレイ”という言葉に出会ったのも、おそらくその為だろうと思うのです。

 

“美しい”だけならごまんと候補は存在しますが、彼女ただ一人のみが候補になり得るとなると、“代えが利かない何か”を意味するものなのでしょう。

 

 

 

今の私は何なのでしょうか?

 

彼女が目の届く範囲に居てくれたら、それを知るのも随分容易だった事でしょう。

 

彼女を見て、感じたものを理解すれば良いだけです。

 

しかし、彼女は居ません。

 

「彼女抜きで自力で答えに辿り着け」という事なのでしょうか。