女性の何かを解放させる | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

何らかの意図を持って「女性を物色、あるいは品定めをしている」と感じるのは、おそらく勘違いではありません。

 

少し前に「誰かを探している」と表現した事と同じ意味です。

 

女性を通して「今の私がどの程度の存在なのか」や、「私にどんな性質が隠されているのか」を知ろうとしている事が読み取れます。

 

それらを知る為には様々な苦しさや辛さと向き合う必要があり、それが結果的に私の内的成長に繋がっていると思います。

 

何も持たず、純粋な存在の質のみで価値や評価が決まる。

 

その様な世界に私は身を置いているのでしょう。

 

それが私にとっての「魂の世界に生きる」という事なのでしょう。

 

 

 

女性を通してのみ知り得る私自身を発見する事が目的ならば、「嫌われたくない」をどう解釈すれば良いでしょう。

 

「相手を不安にさせる様な何かを持っている」という事なら、ある程度の目星が付けられます。

 

不安の原因は何かと言うと、「その人の中に知られると都合の悪い事がある」という事です。

 

「そんな自分だと知られてしまったら嫌われる」という事ですね。

 

では、「どういう相手なら安心出来るか?」と言うと、暴かれる心配が無い相手、上手く目を反らさせてくれる相手、暴かれても困らない相手です。

 

つまり、「都合の悪い自分から逃げられる相手」です。

 

そういう相手に安心するはずです。

 

 

 

ところが、私はきっとそうではないのでしょう。

 

見てみぬ振りをしている自分自身に強制的に向き合わされる様な感じがするかも知れません。

 

「何故そう思うか」と言うと、「私自身がそうだから」です。

 

自分自身を見てみぬ振りをする者にとって、自分自身と向き合う者は驚異以外の何者でもないでしょう。

 

同じく自分自身を見てみぬ振りをする相手の方が安心出来るはずです。

 

それは全く本当の安心とは程遠いのですが。

 

 

 

私は専ら女性にのみ関心を抱きます。

 

男性については「煮ても焼いても食えない」とばかりに関心が有りません。

 

女性が持ってる何かを解放させたいのかも知れません。

 

そしてその解放させたい何かにこそ、私が知るべき自分自身が隠されているのかも知れません。

 

それを何と呼ぶのでしょうか?

 

 

 

愛と言えば愛ですね。

 

「あなたが隠したい、都合の悪い部分を認めます」と言うのですから。

 

ただし、それはとんでもなく厳しい愛ですね。