「私が何かに囚われているとしたら労働かお金のどちらか、あるいは両方だろう」と考えてみました。
すると、労働の方がよりしっくり来る気がしました。
私は“労働”という言葉をほとんど使った記憶が無く、“働く”という言葉でそれを表現していた為に気付かなかったのですが、「労働をする事」と「働く事」ではその意味が大分違うようです。
そこは良いとして、私は「解脱したい対象は労働ではないか?」という仮説を立てました。
要は「労働から解放されたい」という事です。
内的な反応は悪くありません。
なので、今日はその点を模索して行きたいと思います。
「何から着手すべきか?」ですが、一旦前の私に戻って「労働を感じる」という事をしようと思います。
私の視点では敢えて次元を1つ落とす事になりますが、そうする事が最適解ならば何次元でも下に降りましょう。
「内なる世界にて労働をし、労働とは何足るかを悟る事により、労働をする意味を失わせる」という作戦です。
「労働を通してのみ知り得る自分とは何か?」を知る。
労働を悟る。
そういう事です。
では、労働に入ります。
労働は何を言うつもりなのでしょう。
慣れ親しんだ方法ですから、糸口くらいは掴めましょう。